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執筆:鯨井 久志(精神科医/翻訳者/書評家)
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世の中というのは必ずしも道理で動いているわけではなく、非科学的な行いに満ちている、というのはちょっと周囲を見渡せばわかる。神社やお寺でおみくじを引くことはあるし、朝のテレビ番組では星占いコーナーがいまだに健在である。さすがに血液型占いは廃れてきたが(4タイプしかないというのはいくらなんでも大雑把だろう)、オーラや悪霊が見える自称・霊能力者や、本当に効くのかわからない妙な健康食品の広告なども、各種メディアを見ているとまだまだ観測できる。
最近では、プロ野球の阪神タイガースが「予祝」という言葉を掲げ、「前もって祝うことで、起こしたい出来事(つまり優勝だ)を実現させる」という傍から見れば呪術的とも思える行いを前監督が導入し実行していたのが記憶に残る。
だがまあ、べつにいいのである。占いが当たろうが外れようが、悪霊/守護霊がついてようがなかろうが、ちょっと怪しげな色紙を試合後の監督インタビューで突然掲げようが掲げまいが、べつに構わないのだ。当人たちが損をしていなければ。
医学というのもそういうものである。いや、流石にそれは主語が大きかったかもしれない。とはいえ、医学の目的というのは第一に「患者さんをよくする」ことであって、そこに至るまでの道筋が多少ふにゃふにゃして不明瞭であったとて、(まあ、よくなったのだからいいだろう)、とされることもままある。精神医学の領域では特によくある。
むろん「何が効いたのかはわからないが、結果よくなったのだから、まあよい」という一種の居直りじみた姿勢は理学的な思考の人からするとウケが悪く、ゆえに各種精神病理学では言葉による細密な記述で理論の空白を埋めようとしてきたし、近年では生物学的精神医学の発展があるわけだが、相手は人間の精神であり、理性だけで御せない対象である以上、どうあがいたって非理性の余地は残る。治療における変数は薬の種類や用量だけではない。患者個人の生活史や医療者の生活史、あるいはそこに生じる期待や怯えといった人間関係の機微、感情も混ざっている。つまりどうにも定量化しにくいわけで、そこに呪術的な概念が混ざってくるのは道理といえば道理なのだ。
問題なのは、そこにつけこんで商売をしようとする輩の存在である。神性の宿る水であったり、ご利益のある壺であったり、手をかざすだけで病を直す行者だったり、「思い込みで多少はよくなる」人間の特性を悪用した詐欺がはびこる可能性こそ考慮せねばならない。
中井久夫は名著『治療文化論』(岩波書店)でこう書いている。
「近代型治療でも、……無効性に堕しかねない反面、いわゆる民間療法すなわち『ノン・コンヴェンショナルな』(非通常型)治療が有効に機能することもある」
「おそらく問題は、巨額の報酬、誇大な宣伝、豪華な私生活よりも、それに象徴される治療師の“傲り”(ヒュブリス)にある」
「『万能治療者幻想』に対する抑止力を、しばしば文化依存型治療が欠く」
近代科学に拠って立つ「医学」では効かない場合もあり、いわゆる民間療法(祈祷、呪術など)が効果することもある。それが「似非科学」として問題になる、すなわち有害な治療となるのは、治療者が万能であるという思い込みと驕りとを修正する仕組みが失われた場合である。
むろんこの「万能治療者幻想」は、似非宗教の教祖や詐欺師だけに当てはまるものではなく、既存の精神科医も堕落具合によってはその落とし穴にはまることもある、と中井久夫はしたたかに指摘している。
さて、枕が長くなった(この連載はいつもそうだ……)。
今回取り上げる酉島伝法『るん(笑)』(集英社)が描くのは、既存の医学ではなく、いわゆる「似非科学」的な民間療法が広く浸透し常識となった、架空の現代世界である。

著:酉島伝法、解説:久坂部羊
『るん(笑)』集英社文庫、2023
本書はある女性の夫・母・甥っ子をそれぞれ主人公とした「三十八度通り」「千羽びらき」「猫の舌と宇宙耳」の三つの短編から成る。
巻頭作「三十八度通り」の主人公は、1カ月以上も続く三十八度の熱に苦しんでいる。ところが解熱剤を飲もうとすると、妻から「どうして自分の体を信じてあげないの!」と責められる。妻が差し出すのは薬ではなく、発熱に共鳴する植物の根をすりおろし、特別な水を注いで、愛情を込めながら攪拌して作った「愈水(ゆすい)」である。妻だけでなく、周囲の人びとも、発熱を霊障や星座、血液型、先祖の業によって「合理的に」説明しようとする。つまり、医学のほうが、身体を信頼しない危険な迷信として扱われる、逆転した世界が描かれているのである。
病院へ行くことは困難で、解熱剤は路地裏の「ヤクザイシ」(それにしても、薬剤師=ヤクザ+医師、と分解して再構成・異化してみせる酉島の言語感覚には唸らされる。作中にはこれ以外にも漢字を使ったタイポグラフィ的な表現――言ってしまえば「気」を「氣」と読み替える文化の茶化し的読み替え――が盛り込まれている)から非合法の商品めいた手段で(こちらの世界の違法薬物のように)購入する以外に入手する術がない。川にスティックパン状の「贄」なる謎の物体を大量に投げ込む行為が、かえって水質の悪化を招いていると訴える男は観衆から嘲笑を浴び、挙句の果てには規範の象徴たる警官に殴られてしまう。単純に家庭内やご近所でこうした文化が広がっているだけではなく、広く地域のコミュニティ、さらには行政や警察までを貫いているのだ。
この世界が恐ろしいのは、既存の医学が形骸化しているからではない。何を病気と呼び、誰を治療者とし、どのような状態を治癒とみなすかといった秩序が、既知の医学とは別のものにいつの間にかすり替わっている。それがゆえに恐ろしいのだ。
しかも、この世界にわかりやすい“悪人”はいない。妻は夫を本気で心配し、一晩じゅう水をかき混ぜて「愈水」を作る。近所の人びとも親切心がゆえに助言し、健康に良い品を贈り、心のつながり(作中では「心縁」と呼ばれる)を育もうとする。
だからこそ、『るん(笑)』の読書体験は恐ろしい。善意が治療のかたちを取ったとき、それを拒む者は、単に異なる意見を持つ者ではなく、「自分から治ろうとしない人」「治療意欲のない人」「人と人との心のつながりを大切にできない人」になってしまうのだ。これが現実世界の図式の戯画化でなくて何であろう。全編を通して、ありとあらゆる民間療法を茶化しまくっていると捉えることもできる本作だが、その風刺の鋭さゆえに、受ける印象は「笑い」というよりも「恐怖」に近しい。
中井久夫は『治療文化論』で、治療文化とは、何を病気とし、誰を病人・治療者とし、何を治療や治癒とみなすか、患者に対して周囲がどのように振る舞うべきか、といった事柄の「束」として捉えている。さらに、患者自身が何を治療として受け入れ、何をもって治ったと考えるかというところまで、治療文化の一部なのだとする。
中井の捉え方にのっとれば、『るん(笑)』に登場する「愈水」「ミカエル」「心縁」といった各種のうさんくさい民間療法的タームは、単なる奇妙な健康法にとどまらず、一個の完成された治療文化として、この作中世界では成立して(しまって)いるのである。
そして、物語の末尾では、平熱そのものが三十八度へ引き上げられた、と告げられる。実際に主人公の熱が下がったわけではない。異常なものを異常でなくすために、客観的な数値で示される基準のほうを変えてしまう、それが『るん(笑)』の世界である。
タイトルにある「るん(笑)」もまた、病を取り巻く基準と言葉の改変を象徴している。「千羽びらき」において、すでに作中では「癌」が古い忌み言葉とされ、世論の高まりを受けた医師会によって「蟠り(わだかまり)」へと言い換えられている。ところが施靈コーディネーター(なる怪しげな民間療法師)が、「蟠」という漢字の中には「虫」の「番い」が潜んでおり、言霊として有害だと指摘し、そこでより明るい病名として提案されるのが「るん(笑)」なのだ。
つまり、末尾の「(笑)」は「笑顔でいろ、そうすればよくなる」という無言の圧の象徴なのである。病の進行を悲観せず、明るく和やかな気持ちでいろ、と。
加えて、癌は排除すべき異物ではなく、慈愛をもって接し、ペットのようにかわいがるべき「内なる獣」として説明される。とはいえ、名前の響きを柔らかくすれば、それすなわち病気そのものも軽くするとはならない。むしろ患者は、痛みや死への恐怖に加えて、それを暗い顔で語ってはならないという負担まで背負わされる。患者を傷つけないための配慮として導入された言葉が、いつの間にか患者に「正しい病み方」を命じる言葉へすり替えられてしまうのだ。患者に合わせて変えられたはずの病名が、病名にふさわしく笑うことを患者に求める新たなスティグマへと変わってしまう。
重要なのは、『るん(笑)』が、単に呪術的な治療の存在する世界を描いているのではないことだ。恐ろしいのは、呪術的な治療文化が唯一の正しさとなり、別の治療へ逃れる余地が失われていることである。
中井は、治療文化は複数あってよいし、相互に補完・牽制し合うほうがよいとして、個人治療者・文化依存治療者・普通治療者の三すくみの構図を示唆する。要するに、医者だけではなく、既存の医学に対するカウンターとしてケチをつけられるだけの文化が存在し、患者がそれらを選択する余地のある状態、権力勾配が膠着しない流動的な「ぐるぐるまわり」であるべきだというのである。
翻って現実はどうか。精神医学のパターナリズムが批判され、「ケア」をめぐる言説も盛んな今、必要なのは互いにケチを付け合いつつも、膠着状態に陥らず、かといって視野の狭いカルト的な袋小路に入ることのない、開かれた医学の形が求められているのではないか。
『るん(笑)』は、パターナリズムが支配する既存のディストピア的未来社会ではない形での、また違った悪夢的な未来を幻視している。医療関係者が一読しておくべき、回避すべき未来を痛烈に描き出した一冊であると言えよう。
(次回につづく)
※2026年8月下旬公開
鯨井 久志(くじらい ひさし)
1996年大阪府生まれ。精神科医。日本SF作家クラブ所属。海外SF・海外文学を中心に数多くの書評を執筆。2023年にはジョン・スラデックの『チク・タク・チク・タク…』の翻訳を手がけ、同書は早川書房による「SFが読みたい! 2024年版」にて海外部門1位となった。また、2025年にはケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』の訳書を河出書房新社より刊行。趣味はお笑いライブ鑑賞。
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