山中 克郎 先生(諏訪中央病院 総合診療科)
(聞き手)金澤 知大(慶應義塾大学医学部3年、「医学生のアトリエ」学生実行委員長、ミスター慶應2024グランプリ)
医学生が日々の学びを通して得た感動や気づきをアートの形で発信・共有する「医学生のアトリエ」、今回は特別企画として総合診療医の山中克郎先生にお越しいただき、医師を目指したきっかけや医学生時代のこと、さらには医師にとって大切なことなど、医学生へ向けたメッセージをいただきました。
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以下の記事はインタビュー動画から抜粋・編集したダイジェスト版です。本編動画には記事にない内容もございます。ぜひ動画もご参照ください。
遊び場は診察室
金澤 山中先生は、どのような子ども時代を過ごされたのですか?
山中 スポーツ、特に野球が大好きでした。でも通っていた学校の野球部はすごく人気で、入部するにはテストを受けて上手な子だけが入れる仕組みで、僕は入れなかったんです。ただ、足は速かったので、陸上の大会には出てましたね。高校では先輩に進められてサッカー部に入り、大学では軟式テニスをやってました。
金澤 スポーツ少年だったのですね。
医師を目指そうと思ったきっかけは、どのようなことだったのでしょうか?
山中 祖父が開業医だったんです。僕は三重県の四日市市で生まれて、父の仕事の都合ですぐ名古屋へ引っ越したのですが、おじいちゃん子だったので、よく「おじいちゃんのところに行きたい」と母親にせがんで、電車で連れて行ってもらっていました。そして1~2週間は祖父のところで過ごしていましたね。
だから僕の小学生時代の遊び場は「診察室」だったんです。夜や休日の診療がない時に、こっそり入り込んでかくれんぼをしたり(笑)。診察室の隣には薬剤師だった祖母が使っていた調剤室があって、薬品棚の中に「劇薬」と書かれたドクロマークのガラス瓶が置いてあって「これ飲んだら死んじゃうんだ」みたいなことを、子どもながらに感じていました。
金澤 わんぱくな感じですね(笑)。
山中 当時は消毒に石炭酸が使われていて、その匂いが漂う診察室は独特の雰囲気があったんですよね。そこで患者さんを診察している祖父を見ていて「おじいちゃんの仕事いいな。医者になりたいな」なんて思っていました。
超不真面目な医学生が真面目に医師になったわけ
金澤 念願叶って医学部に入られて、学生生活はどうでしたか?
山中 不真面目な学生でしたね。私たちの頃は、今のように出席を厳しくとらなかったんですよ。いつも10人くらいしか出席していなくて、講義が始まると教室の後ろから覗いて「今日は10人いるから大丈夫」って、喫茶店やテニスの練習に行ったり……。6年生のポリクリの時に内科の教授に呼び出されて、「君は卒業試験がめちゃくちゃ悪かったけど、国試は大丈夫かい?」と心配された記憶があります。それくらい勉強してなかったですね。
金澤 それを聞いて少し安心しました(笑)。私も「これで医者になれるのかな」とちょっと心配になる成績なので……。
山中 当時も「きっと将来は教授になるんだろうな」と思うほど成績優秀な学生はいましたが、実際には全然そんなことはなくて。「あいつが!?」と思うような人が今は大学で教えていたり、臨床で活躍していたり、医学生時代の成績なんてあてにならないなと思いますね。
金澤 では、そういう“不真面目な学生”だった山中先生が、医師になる覚悟を決めたきっかけというのはあったのでしょうか?
山中 当時、名古屋大学では4年生の夏休みに、好きな研究室を選んで見学に行くというプログラムがあったんです。僕は血液内科を選んだのですが、そこの講師の先生が米国帰りの美男子で、もちろん英語もペラペラで「こんな先生になりたい!」と憧れるほどかっこよかったんです。夏休みが終わってからも、その研究室には講義をサボって入り浸っていましたね。僕にとってすごく刺激になったのは、教室の先生たちとお茶を飲んだりご飯を食べたりしながら、医師になってからの生活や最先端の研究――当時はちんぷんかんぷんでしたが――の話を聞けたことです。これが将来の方向を決める、原動力の1つになったと思っています。その研究室の人とは今でも交流があるんですよ。
金澤 学生時代の出会いは大事ですね。
山中 そうそう、学生さんは遠慮せず、いろんなところにどんどん飛び込んで、いろんな人に会うといいですよ。
もし僕が「医学生のアトリエ」に応募するなら
金澤 今回の「医学生のアトリエ」は、自分の心の中を表現して、医学生同士の横の繋がりを強くするというねらいで企画しました。もし山中先生が学生時代にこのようなコンテストがあったら、どんなものを出されたと思いますか?
山中 僕だったら多分、感銘を受けた映画や小説について、その紹介と自分の感想を書いたんじゃないかと思います。あと写真も好きなので、自分が撮ったものを応募したかもしれません。今でもハイキングに行った時に出合った綺麗な光景や日常生活でちょっと気になるようなものがあると、写真を撮ってFacebookにアップしたりしてるんですよ。今回の企画では、今の学生さんたちがどんな学生生活を送っているのか、そういう写真を見ることができたら、自分の学生時代も思い出されていいなと思います。
金澤 青春の1枚ですね。
山中 ぜひ医学生の皆さんには、いろいろな芸術に対してアンテナを張って、それらの素晴らしさにふれてほしいと思います。
同級生の髪型はコミュ力養成の第一歩
金澤 山中先生は患者さんと対話する最初の1分間を大事にされていらっしゃるそうですが、学生時代に身につけておくよいことなどはありますか?
山中 僕はAIが普及するような今の時代だからこそ、患者さんの苦しみに共感したり、患者さんを触りながらしっかり診察したり、そういったことが生身の人間である医師に求められていくんじゃないかと思っています。
それで、よく「最初の1分間で患者さんの心をつかめ!」と学生や研修医に言ってるんだけど、例えばお店に入ると店員さんが「今日は何をお求めですか?」って話しかけてきますよね。そういうとき、1分も話さないうちに「この店員さん、めちゃくちゃいい人だな」とか「自分と絶対気が合う!」って思うこと、ありませんか?
金澤 あります!
山中 人間って、最初の1分間くらいで相手のことを判断できちゃうし、往々にして、その判断は間違っていないことが多いと思うんですよね。
例えば、患者さんのベッドサイドに美術系の雑誌が置いてあったら「印象派がお好きなんですね。僕もルノアールとか好きなんですよ」とちょっと話をするだけで、患者さんもすごく安心して、いろんなことを話してくれます。だから、学生のうちに、コミュニケーション能力を磨くトレーニングをしておくことをお勧めします。特に、見知らぬ人とどうやって最初に話をするか、僕が今でもやっているのは「院内のコンビニエンスストアでなるべく店員さんと話をする」ことです。
このように、コミュニケーション能力と、細かい観察眼が医師には必要なんですよ。だから「同級生の女性の髪型が変わったら必ず気づけ!」って言っています。
AI時代の医師になる君たちへ
金澤 忘れられない患者さんは、いらっしゃいますか?
山中 僕は最初、血液内科医だったんですよ。だから白血病や再生不良性貧血の患者さんを診ていたんですけど、ある時、白血病の患者さんが亡くなってしまって、その方には、当時僕の子どもと同じぐらいの年齢のお子さんがいたんです。亡くなった日は僕も涙が止まらなくて、上司から「今日はもう働くの無理だから帰ったほうがいいよ」ってお昼に帰らせてもらったことがありました。
それから、再生不良性貧血の患者さんで、ご兄弟から骨髄移植を受けて命は助かったんですが、その後もGVBDで皮膚症状や肝機能障害が起こって、治療には苦労しました。その方とは、今でも毎年手紙の交換をしています。
金澤 誰かの命を救ったり、人生を変えたりすることができるというのは、憧れるというか、すごくかっこいいなと思います。
山中 医師になってまだ1~2年目でしたから、自分がというより、先輩方と一緒にチームで救ったわけですが、その患者さんとは歳も近かったので、その後も手紙の交流が続いたことは僕にとって貴重な経験でした。
あと、僕は聴診するとき、患者さんの背中に手を当てながら、挟み込むように聴診器を当てて胸の音を聴いています。手で触れるというのはものすごく大事だと思っていて、こういうことはやっぱりAIにはできないし、触れて診察してもらうと、患者さんは喜ぶんですよね。
金澤 そうやって診てもらって、話を聞いてもらうだけでも、治療になるのだと思いました。
山中 そうです。少し前に胃カメラの検査を受けたのですが、喉を通るときがむちゃくちゃ苦しいんですよね。でもそのとき、傍にいた看護師さんが僕の背中を撫でながら「もうちょっとで終わりますからね。今、苦しいですよね。大丈夫ですよ」って言ってくれて。もう感激して「あぁ、この人はナイチンゲールの生まれ変わりか」って思いました。それくらい、「てあて」の癒し効果はすごいんです。
山中先生はこうして“女神”をオトした
金澤 最後に、山中先生の座右の銘のような、一番大切にされている言葉があったら教えていただけますか。
山中 「運命の女神に出会ったら必ず前髪をつかめ!」です。よく「幸運の女神には前髪しかない」と言いますが、チャンスだと思ったら、離さないこと。僕ね、高校生のときに大好きな女の子がいて、その子に3回くらいアタックしたけれど全然相手にしてもらえなくて、振られたんですよ。その後、友だちの計らいで大学生のときに彼女と再会することができて、「高校の時からずっと好きなので付き合ってください」って言ったんですけど、やっぱりダメでした。でも、これであきらめちゃいけないと思って、「1カ月だけ付き合ってください。それでダメならあきらめます!」と言って何とかチャンスをもらえたのですが、週に1回しか会えなくて、すぐ最後のデートになっちゃうんです。そのときも首を縦に振ってはくれなかったんですが、「いや、やっぱり僕の良さは1カ月ではわからないと思います。せめて3カ月。3カ月経ったらもう絶対にあきらめます!」って言って(笑)。
金澤 (笑)
山中 それで、また3カ月経って「いやいや、やっぱり僕の良さは3カ月ではわからないと思うんです。もう半年だけ。そしたら、もう絶対今度こそあきらめます!」って言って、結局その人と結婚しました。今だと、下手したら警察沙汰ですよね、これ。
金澤 これを見ている全男子が、感動で泣いていると思います(しんみりしながら)。
山中 「この人しかいない!」「これが自分の好きなことなんだ!」と思ったら、どんどん突き進んでください。あきらめるなっていうのが僕からのメッセージです。
金澤 ありがとうございました。最初からいい話ばっかりだったんですが、最後の最後に素晴らしいお話をお聞きすることができました。学生の皆さん、恋も勉強も頑張りましょう! 山中先生、本日はお忙しい中、大変貴重なお話をいただき、ありがとうございました。みなさんの「医学生のアトリエ」へのご応募、お待ちしています!
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