北原 大翔 先生(シカゴ大学 心臓外科)
(聞き手)金澤 知大(慶應義塾大学医学部3年、「医学生のアトリエ」学生実行委員長、ミスター慶應2024グランプリ)
医学生が日々の学びを通して得た感動や気づきをアートの形で発信・共有する「医学生のアトリエ」、今回は特別企画として米国の現役心臓外科医であり、またYouTubeチャンネル「本物の外科医」でさまざまな情報を発信されている北原大翔先生にお越しいただき、米国での医師生活やYouTuberとしての活動について語っていただきました。
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以下の記事はインタビュー動画から抜粋・編集したダイジェスト版です。本編動画には記事にない内容もございます。ぜひ動画もご参照ください。
【前編】
【後編】
普通の小学生が医師を目指すまで
金澤 北原先生はどのような子どもだったのでしょうか? また、どのようなきっかけで医師を目指すことに決めたのか、お話しいただければと思います。
北原 馬鹿なことをしてふざけているような、普通の小学生だった気がします。医学というか、科学に関心をもったのは、中学生のときに理科の先生が授業中に教えてくれた、光の速度の話がきっかけかもしれません。いわゆる相対性理論の話なのですが、自分たちが生活している時間や空間が科学で説明できることに、とても興味をもちました。世界は科学で説明できる部分もあれば、どこまで突き詰めても揺らぎというか、確定できない部分がある。そしてそのなかで私たち人間が生きていることを、とても面白いと感じましたね。
また、小中学生のときは星新一の本が好きでした。彼のショートショートは2ページ程度の短い話のなかに哀愁や楽しさがあり、必ずオチがあるのが面白くて、たくさん読んでいました。
金澤 私も中学生時代に、星新一にハマりました。通学中でも手軽に読めるのがよいですよね。
北原 医師になろうと思ったのは高校1年生のときで、在籍していたバスケットボール部の顧問の先生から、「お前の成績なら、勉強すれば医学部に行けるんじゃないか」と言われて──2つ年上の先輩が慶應義塾大学医学部への推薦をもらっていたので──、自分も医学部に行けるかもしれない、と勉強を頑張り始めました。そのときはまだ、医師になりたいというよりも、医学部に行けるなら行くか、という気持ちが強かったように思います。
金澤 医学部へ入学されて、学生時代はいかがでしたか?
北原 医学生のときはアメフト部で、部活漬けでした。部活動って、ある種の洗脳ですよね(笑)。本当に、洗脳されたかのように毎日部活をし続けていました。それはそれでよかったと思いますが、もしもう一度医学生時代をやり直せるとしたら、海外へ旅行に行ったり、どこかのインターンに参加したりするなど、さまざまな経験をしてみようとするかもしれません。
プライベートを大事にする文化
金澤 今、北原先生はアメリカで心臓外科医として活躍されていらっしゃいますが、アメリカでの生活や文化について、お聞きしたいと思います。例えばですが、手術が無事に終わったら、チームの皆さんで飲みに行ったりするのでしょうか?
北原 ほとんどありませんね。日本で仕事をしていた頃は、手術後に皆でご飯を食べに行くことはまぁまぁの頻度でありました。一方、アメリカでは全くありません。年に1〜2回、部門の全員が集まるパーティーのようなものは行われますが、職場の同僚というものについて、“仲間ではあるが、友人ではない”という認識が強いのかもしれませんね。皆、勤務後の時間は家族や友人と過ごすことに使っているように思います。私もそうです。
金澤 それは意外でした。もう1つ、海外の医療ドラマなどで手術中に音楽をかけているシーンがよくありますが、音楽をかける先生は多いのですか?
北原 もちろん音楽をかけない医師もいますが、私は多少ガヤガヤしているほうがよいので、必ず音楽をかけています。曲に対するこだわりはないので、リクエストを聞かれたら「何でもよい」と答えるようにしています。結果、アメリカの流行曲トップ100が流されることが多いのですが、先日は「じゃあ、ジャパニーズポップを流すね」と言われて、YOASOBIの『アイドル』が流れました。看護師の一人が「私の娘がファンで、踊りや歌をマスターしている」と言って、軽く踊っていましたね。
金澤 アメリカでも日本文化は生きていますね(笑)。
同僚・患者とのコミュニケーション
金澤 職場の同僚や患者さんと接していて、「日本と違うな」と思ったり、「それは日本人らしいね」と言われたりすることはありますか?
北原 たとえ私がいかにも日本人らしいことをしたとしても、「あなたはとてもジャパニーズだね」と周囲から言われることはないと思います。そういう発言は──たとえ言われた私が平気な顔をしていても──、相手を傷つける可能性があると考えられているからだと思います。アメリカの社会はそういったことに対してとてもセンシティブなので、いじめや、迫害されたと相手に受け取られるような言葉は大人になったら口にしないのかと。
金澤 思ったことを何でもストレートに言うようなイメージがありました。
北原 むしろセンシティブなことは、とても遠回しに言いますね。さまざまな人がいる文化なので、小さい頃からそういった教育がなされているように思います。だから、「自分はかっこ悪くてモテない」と自虐的なことを言っても、一切、笑ってくれないですね。
金澤 患者さんとのコミュニケーションについてはいかがでしょうか?
北原 アメリカは日本と比べて、一般の人々における健康や医療に関する知識の格差がとても大きいと感じます。日本人の健康に関する知識レベルを上が100、下が60くらいの幅としたら、アメリカの場合、上は日本と同様に100なのですが、下が30くらいで、さらにその下の層がとても多い印象です。
金澤 インフォームド・コンセントを取るための説明も大変そうです。
北原 日本でも「よくわからないから、お任せします」と言う人はいますが、実際、私が現在働いている病院では、そういった人がとても多いですね。
あの人は今も生きていただろうか
金澤 忘れられない患者さんとのエピソードはありますか?
北原 今でもよく覚えているのは、日本にいたときの話です。マルファン症候群という遺伝性の病気は、大動脈の血管などが大きくなり、放っておくと破裂して生命に関わる危険性があるため、予防的な手術が必要なことがあります。全身の血管が太くなってしまっている場合には各部位を少しずつ、段階的に手術していく必要がありますが、例えば1回目で胸、2回目で背中を手術したあとに「次の手術はもう少し間を空けて、しばらく休みたい」と言う人もいます。そうした場合、手術をしないでいる間にどのくらいのリスクがあるのかを説明して、早めに手術を受けたほうがよいことを伝えます。ただ、そのうえでどうするのかは、患者さんの判断に委ねるしかありません。
ある患者さんは、胸腹部の手術を残すのみという状態でしたが、ご本人から次の手術まで間を空けたいという希望がありました。「では、半年後の外来で次の手術日を決めましょう」とお伝えして、その後私は別の病院で働くことになってしまったのですが、半年も経たずにお腹の血管が破裂して救急搬送され、最終的には亡くなってしまったと、後に聞きました。
金澤 聞いているだけでも胸が締めつけられます……。北原先生ご自身は,その出来事をどう受け止められたのでしょうか?
北原 医師には、患者さんの人生を決める権利があるわけでも、まして「手術を受けなさい」と強制できるわけでもなく、できるだけ正確かつ科学的な情報を伝えて、それを踏まえて決めてもらうしかありません。それでも、「私があのときの外来でもっと強く手術を勧めていたら、あの人は考えを変えて、現在も生きていたかもしれない」と思いました。次に同じことがあったときにどうするか、答えはまだ出ていませんが、今でも心に残っているエピソードです。
金澤 それでも、「もっと強く勧めていたら」と思えるのは、北原先生が患者さんと本気で向き合っていらっしゃった証拠なのだと感じました。最終的に決めるのは患者さんでも、そのときに寄り添えるような医師になりたいと思います。
なぜ外科医姿でYouTuberに?
金澤 それでは次に、北原先生の表現活動についてお聞きしたいと思います。
北原先生はYouTubeチャンネル「チームWADA【本物の外科医YouTuber】」では、いつもスクラブを着ていらっしゃいますね。本日も“正装”で来てくださって、とてもうれしいです。そもそも、なぜ手術着でYouTubeに登場しようと考えられたのでしょうか?
北原 手術着で新宿を歩くという動画を撮ったのがきっかけです。今では動画を撮るときなどはこの格好をしないと、自分のなかで違和感があるくらいです。
金澤 その姿でUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にも行っていらっしゃいましたね。
北原 ディズニーランドに比べるとコスプレに寛容なイメージがあったからなのですが、その後、USJで下着姿に間違われるような恰好をした人が炎上騒ぎになったりもしたので、私も危なかったかもしれませんね。
金澤 私も以前、USJに行ったときに、『北斗の拳』のジャギがいました。
北原 ジャギがOKなら、私がいても大丈夫ですね。
金澤 ジャギのほうが危ないですものね(笑)。ところで、着ている手術着はこだわりがあったりしますか?
北原 外科医だとわかればよいので特にこだわりはありませんが、今着ている色が、帽子の色にも合っていて、ちょうどよいと思っています。
金澤 外科医の象徴的な道具としては、手術着以外にもメスなどのさまざまな手術器具があるかと思いますが、北原先生が心臓外科医としてお気に入りの器具はありますか。
北原 拡大鏡ですね。初めて見たとき、その見た目がとてもかっこよくて、「これを着けたい!」と思いました。大学時代はアメフト部で、ショルダーパッドという大きな防具を着けると自分が強くなった気がして好きでした。何か特殊なものを身に着けることで、自分の能力や技術が飛躍的に伸びると錯覚できるのが、変身ヒーローのようで楽しいのかもしれません。普段の自分から心臓外科医としての自分にオン・オフが切り替わる瞬間を強く感じさせてくれるので、拡大鏡がとても好きなのです。
金澤 すごくわかります! 僕も道着を着て畳に立つと、スイッチが入る感覚があります。「なりたい自分」を呼び出す装置って、ヒーローの変身と似てますよね。
まずはカメラに慣れる!
金澤 北原先生がYouTubeを始められた理由は「モテたかったから」と伺っています。そのためとはいえ、最初の頃はカメラの前でしゃべったり何かしたりすることに恥ずかしさや照れがあったのではないでしょうか。どのように乗り越えられましたか?
北原 私はもともと、割と照れるほうなので、そこは今でも乗り越えてはいません。でも、カメラの前でしゃべること自体には慣れてきましたね。
動画を撮ろうとするとき、実は照れよりも、カメラの前で話したり何かしたりすることへの違和感のほうが障壁になることが多いのではないかと思っています。少なからずカメラの前でしゃべることに抵抗感がなくなると、そこからは「撮ると決めたのだから仕方がない」と肝が据わってきて、撮影している間はあまり照れがなくなります。あと、これはYouTuberの人がよく言っていることなのですが「恥ずかしかろうが何だろうが、収録現場に居合わせた人と今後一生、会うことはない」わけです。ですから、そんなことを恥ずかしがっている暇があったら、とにかく撮ることです。
金澤 先日YouTubeにアップされた『シティーハンター』のエンディング風動画も、そうした勢いで撮影されたのでしょうか?
北原 『シティーハンター』の、毎回ラストシーンから音楽が始まって、そのままエンディングに変わっていく見せ方は他のアニメでは類を見ないもので、小さい頃の私にはセンセーショナルでした。ずっとあのような映像を撮ってみたいと思っていたので、とても気合いを入れてつくりました。あまり再生されてはいませんが。
金澤 私はあの動画、とても好きです。「子どもの頃の憧れ」が、時間を超えて「今」形になる。それこそが表現の醍醐味だと思いました。再生数よりずっと大切なものが詰まっていると思います。
今回、この『総合診療』誌とWebサイト『ジェネラリストNAVI』にて開催している「医学生のアトリエ」では、全国の医療系学生から小説や写真、映像などの作品を募集しています。医学部内での勉強や部活動のような縦のつながりだけでなく、大学の枠を超えた横のつながりを広げたい深めたい、という思いで企画しました。北原先生はこの企画で、どのような作品を見てみたいと思われますか?
北原 面白い試みだと思います。日々の忙しさのなかで、なかなか長い小説のような作品をじっくり読むというのは難しいですが、私自身がYouTubeで活動しているので、やはり動画でしょうか。ただ、「これはきちんと編集されている」などと、作り手目線での評価になってしまうかもしれません。
今、その時を楽しむ
金澤 最後の質問です。もし、北原先生のところに医学生時代の北原先生が現れたら、何を聞かれると思いますか?
北原 私はあまのじゃくなところがあるので、将来の自分が「今、こんなことをしている」と言ってきたら──特に、外科医の格好でYouTubeをやっているなどと言われたら──、「絶対にその道には行かないようにしよう」と思いそうです。「将来のことは別に聞きたくないので、何も言わないでほしい」と言うのではないかと思います。
金澤 将来のことよりも、今どうするかに関心があるということでしょうか。
北原 そうですね。昔も今も、その時その時を楽しんでいます。先のことを知るとその分、面白さがなくなるような気がしますね。
金澤 未来を知るよりも、「今」を手放さずに生きることの大切さ、そして未来の自分が「憧れ」ではなく、「今の延長線上にある存在」であるという考え方、強く背中を押されました。本日は、お忙しいなか、いろいろなお話をお聞かせいただきありがとうございました。みなさんの「医学生のアトリエ」へのご応募、お待ちしています!
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