小川 貴寛 先生(初期研修医/アーティスト)
(聞き手)金澤 知大(慶應義塾大学医学部3年、「医学生のアトリエ」学生実行委員長、ミスター慶應2024グランプリ)
医学生が日々の学びを通して得た感動や気づきをアートの形で発信・共有する「医学生のアトリエ」、今回は特別企画として今年6月に個展も開催された小川貴寛先生にお越しいただき、東京藝術大学卒業後に医師を目指した経緯や、芸術と医学のつながりについて語っていただきました。
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以下の記事はインタビュー動画から抜粋・編集したダイジェスト版です。本編動画には記事にない内容もございます。ぜひ動画もご参照ください。
【前編】
【後編】
映画監督に憧れて東京藝大へ
金澤 それでは、小川先生の子ども時代から、芸術や医学への関心が芽生えたきっかけについてお話しいただけますでしょうか?
小川 僕は幼稚園の頃から絵を描くのが好きで、動物図鑑のようなものを自作していました。絵が特別上手だったわけではないんですが、とにかく描くことが楽しかったんです。小学生のときにはちょうど映画『もののけ姫』が公開されて、それをきっかけにスタジオジブリの作品に夢中になりました。毎日帰宅後に観て、キャラクターを描く日々でしたね。将来はジブリに就職したいと思っていました。
金澤 その一方で、精神医学にも興味を持たれていたと伺いました。
小川 そうですね。小学校の高学年くらいから、漠然と「精神科医になりたい」と考えるようになっていました。自分が物事に対して人一倍敏感に反応する性格だったからでしょうか。「なんで自分はこう感じるんだろう?」と疑問に思って、心理学に惹かれたんです。
金澤 そこから藝大(東京藝術大学)へ進学されたのは、どういった流れだったのでしょうか?
小川 中学生の頃、関心がアニメから実写映画に移っていって「映画監督になりたい」と思うようになりました。特に北野武監督が好きで、ちょうど彼が藝大の大学院に開設された映像研究科で、映画専攻の特別教授に就任した時期だったんです。大学院へ進学するために、まず藝大の美術学部に入ろうと決意しました。絵画科の油画専攻を選んだのは、絵が得意だったことと、そして「もっと絵が上手くなりたい」という思いからです。
金澤 藝大に合格するまでに、予備校での浪人生活も経験されたそうですね。
小川 はい。一般的な大学受験の予備校生が勉強漬けのように、美術大学の予備校も、朝から晩まで制作漬けです。ただ、浪人生活の中で制作をひたすら重ねていくことで、自身の表現の幅が広がって、入試の“お題”に対する引き出しも増えていきました。
金澤 ちなみに、小川先生が受験したときはどんなお題だったのですか?
小川 一次試験は「私の風景」というテーマでした。藝大の構内で何でも自由にスケッチできる形式で、僕はいろいろな場所のスケッチを1枚の中に組み合わせて表現しました。屋外だったので風に絵が飛ばされたり、なかなか大変でしたね(笑)。二次試験は3日間をかけて行われ、1日目のテーマは「自分の部屋」。渡された白い箱の中に“部屋”を描くという課題で、僕は予備校のアトリエを描きました。残りの2日間は油絵の「自画像」が課題です。
金澤 想像以上に自由度が高いのですね。
小川 年によってはもっとエキセントリックな課題が出ることもあるそうで、これでも僕の年は比較的オーソドックスなお題だったのです。
アーティストとしての葛藤から、医師を目指す
金澤 藝大を卒業されてから、再び医師を目指された経緯は何だったのでしょうか?
小川 藝大の油画専攻はとても自由な環境で、映像やパフォーマンス、言葉での表現も認められた現代美術的なスタイルが特徴です。けれども、僕は逆に完全な自由の中で「自分のやりたいこと」をゼロから探すことがうまくできなくて、制作に迷いが生じてしまいました。当初の目的であった映画制作の道に関しても、多くの人をまとめて何かをつくるという作業は自分に向いていないのではないか、と悩むようになり、最終的に卒業はしましたが大学院へは進学せず、「もう一度医師を志そう」と思いを新たにしました。
金澤 小川先生が医学部に入られる前に制作された作品を見たことがあるのですが、医学をテーマにされたものがありますよね。藝大にいらしたときも、医学への関心はずっとお持ちだったのでしょうか?
小川 それは医学への関心というよりも、単純に題材として面白かったからです。ただ、卒業制作では「発達障害の子どもが見た風景」をテーマにしたアニメーション作品をつくりました。それは当時、藝大で精神科医の内海健先生から「病跡学」の講義を受けたことがきっかけになっています。歴史上の天才たちの精神構造と創作との関係を読み解く病跡学はとても刺激的で、内海先生が発達障害の研究にも力を入れておられたことから、発達障害について勉強し、卒業制作として取り組んだのです。
金澤 小川先生はその後、医学の道に進まれてからも創作を続けていらっしゃるわけですが、医学と芸術という、一見まったく異なる2つの世界は、ご自身の中でどのようにつながっているのでしょうか?
小川 医学部への進学を決意したときは、本当に苦しかったんです。長年努力してきた「アーティストになる」という夢を手放すのはつらかった。でも、「どうせ医師になるなら、今まで学んできた美術を生かしたい」という思いは強くありました。そして医学部3年生のときに臨床医学の授業が始まり、その過程で「病気についての絵を描こう」というコンセプトが生まれました。希少疾患の啓発活動として、病気や症状、細胞の姿などを、アートの形で表現する。そのとき初めて、自分の中で医学と美術がしっかりとつながった気がしました。
金澤 そういえば、私の好きな『スーパードクターK』という漫画で、絵を描くことで拒食症の患者さんの心を癒すシーンがありました。人の心という点において、芸術と医療には通じるところがありそうですね。
小川 実際、芸術療法のような分野もありますし、これからは医師としての実践の中にこそ、美術的な視点を生かしていけたらと思っています。患者さんへの説明やコミュニケーションにおいて、視覚的な表現が役立つ場面もきっとあるのではないでしょうか。
病気を描く
金澤 それでは、「病気を描く」というコンセプトで制作されてきた作品たちについて、お聞きしていきたいと思います。
小川 最初に描いたのは、「多発性骨髄腫」をテーマにした作品でした。病気を題材にするということはとてもセンシティブで、患者さんへの配慮が欠かせません。どのような形であれば患者さんにも社会にも受け入れられるだろうかと考えていたときに、インターネット上で「自分の病気をもっと知ってほしい」と活動をされている多発性骨髄腫の患者さんの存在を知り、アートによってそれを支えることができないだろうかと考えました。そうして描き続けるうちに、指定難病の枠組みに入らず社会的な支援の乏しい希少疾患を、特にテーマとして取り上げるようになっていきました。
金澤 本日お持ちいただいた作品も、その1つですね(図1)。
小川 これは「サラセミア」を描いたもので、顕微鏡で見える「標的赤血球(ターゲットセル)」と呼ばれる特徴的な病理像を描いています。赤血球の中にもう一つ輪のような構造が見えるもので、医学生にも馴染みのある病理像です。その細胞群の中央に、病態の核であるヘモグロビンを象徴的に配置しました。専門医向けの文献も参考に、病態に近いビジュアルを探し出し、正確に反映するよう努めています。この作品は2024年に5月8日の国際サラセミアデーに合わせて制作したもので、情報発信のタイミングも含めて、「誰かに届けるためのアート」を意識した作品と言えるでしょう。
金澤 もう1つの作品は、今年6月に開催された個展『まなざし―生と病を描く』のメインビジュアルにも使われていたものですね(図2)。
小川 はい。この作品のテーマは「指定難病とiPS細胞研究」で、患者さん由来のiPS細胞から分化した神経細胞などをモチーフにしています。3層構造の立体絵画で、背面の2枚は黒いアクリル板とガラス板に、神経細胞や幹細胞を油絵で描いています。一番手前には、レオナルド・ダ・ヴィンチの『ほつれ髪の女』というデッサンを元にした少女像を配置し、「まなざし」というタイトルに“光の当たらない疾患にまなざしを向けたい”という思いを込めました。
金澤 個展でも拝見しましたが、間近で見る実物は本当に迫力があります。写真では伝わりにくいですが、透明な層が重なっていて、見る角度によって印象が変わりますね。
小川 これまではキャンバスの平面作品が中心でしたが、今回は電子顕微鏡写真のような世界を油絵で表現できないかと試みました。黒い背景に蛍光色の細胞が浮かび上がるようなイメージです。もともと厚塗りのタッチが好きなので、物理的な奥行きを加えることで、油絵ならではの立体感を生かせたと思います。
図1 サラセミア
図2 まなざし
アートを通じた人・社会とのつながり
小川 今回の「医学生のアトリエ」は、すごく素敵な企画だと思います。スポーツでいうところの東医体(東日本医科学生総合体育大会)のように、大学の垣根を越えて医学生同士がつながる機会が、アートにもあっていい。表現したい気持ちを持っている医学生は必ずいて、それが「医学生ならではの視点」で表現され、それを同じ医学生が受け取る──。とても価値のある場だと思います。
金澤 ありがとうございます。将来医師になることがある程度決まっているなかで、自分の心の声を形にして残す場があることには大きな意味があるとも考えています。小川先生が学生の頃にこの企画に出合っていたら、どのような作品を応募されたでしょうか?
小川 僕だったら、組織学の講義で描いた細胞スケッチを絵画に仕上げて応募したかもしれません。創作や表現というのは、医療に直接関係しないようでいて、間接的には深くつながっています。自己表現力は、自分自身を見失わないためにも大切です。
金澤 現在、初期研修医として臨床の現場にいらっしゃって、そのことを感じる場面はありますか?
小川 例えば縫合処置の際にできるだけ美しく仕上げようと集中する感覚は、絵を描くときの「美しい線を引こうとする執念」にとても近いですね。直接的ではありませんが、感覚的にはリンクしています。
金澤 作品を通して、患者さんやご家族から感想をいただくこともありますか?
小川 はい。SNSで「自分もこの病気なんです」「こうした活動に励まされました」とコメントをいただくことも多く、自分の活動が微力ながら意義があるのだと実感しています。また、「腹膜偽粘液腫」という希少疾患の患者さんのご家族から絵の依頼をいただいて、個展ではその病気をテーマにした作品も展示しました。患者さんご本人や関係者の方々が実際に足を運んでくださり、病状や制度的な課題についても直接お話を伺うことができました。一人のアーティストとしてだけでなく、一人の医療者としても、とても貴重な経験でしたし、温かい言葉をいただいて、「これからも続けていこう」と思えました。
金澤 私は最近、初めて病院実習に行ったのですが、未熟な自分でも患者さんから「ありがとう」の言葉をもらって、「あぁ、こんな僕でも何かできることがあるんだ」と、ものすごく身が引き締まりました。
小川 僕はアーティストになる夢を諦めて医師の道を選んだとき、「それでも人生をかけられる表現がしたい」と思っていました。医療という場でも、人との深いコミュニケーションは生まれるし、それは表現と同じように相手の心に届くものだと思うんです。だからこそ、誰かが喜んでくれる、癒されてくれる──。その瞬間に触れたとき、「やってよかったな」と心から思えます。絵も、医療も、自分の中ではつながっているものです。
人生の変化を楽しむ
金澤 藝大を卒業されてから医師になるという、異色の道を歩まれてきた小川先生ですが、大切にされている言葉や座右の銘のようなものはおもちでしょうか。
小川 そうですね…。「初志貫徹」のようなかっこいい言葉に惹かれた時期もありましたが、人生が進むにつれて「それだけが正解じゃないな」と思うようになりました。むしろ、自分を変えながら生きていく“流動性”のほうが、自分には合っている気がします。
金澤 とはいえ、人生に迷いが生じたとき、心が揺らぐこともあると思います。そうしたとき、どうやって自分を保ってこられたのでしょうか?
小川 僕も決して強い人間ではないので、何か確固たる「芯」を持ち続けていられたわけではないのです。でも、「誰かのために」と目的を自分の外に置くことで、折れそうなときにも踏みとどまれることがありました。たとえそれが具体的な“誰か”でなくても、「社会貢献」という形でかまいません。自分一人だと諦めてしまうようなときも、他者の存在があると、もう一歩踏み出せる気がします。
金澤 ぜひ今の医学生や若い世代へのメッセージをいただけたらと思います。
小川 僕が金澤くんと同じ20歳の頃は、予備校でひたすら絵を描いていた毎日でした。今思えば「あの頃は自分の世界しか見えていなかったな」と思います。でも、そんな時期を経て、いろんなことに迷い、遠回りをしながら、それでも続けてきたものが今につながっていると感じます。医師という目標へ一直線に進む生き方も素晴らしいけれど、時には「違うかもしれない」と思いながら、柔らかく流れていく人生も悪くない。変化していく人生には、そのつど違う楽しさがあります。そんなふうに、生き方の選択肢を広く捉えてもらえたら嬉しいです。焦らず、自分のペースで歩んでいってください。
金澤 私もこの「医学生のアトリエ」でのインタビューを通して、いろいろな先生方の人生に触れさせていただきました。それぞれ違う人生を歩んでこられた方のお話には、いつも勇気をもらっている気がしています。今日の対談で、小川先生の「折れても、また動けばいい」という優しくて力強い考え方に触れられた気がします。読んでくださっている皆さんにも、そんなふうに少しでも背中を押す言葉になっていたら嬉しいです。
最後になりますが、小川先生は医師として、そして表現者として、今後どのような「まなざし」で医療と社会を見つめていきたいとお考えですか?
小川 病気を描く活動は、これからも続けていきたいです。医師としては、今後初期研修が終わって専門分野に進んでいけば、まったく違う環境になると思います。そのとき、自分がどう感じるか、何を見つけられるか──。それは実際に現場へ飛び込んでみないとわからない。だから今はあえて目標を固めすぎず、まずは一度その世界にしっかり浸かってみようと思っています。
金澤 ありがとうございます。今日お話をお聞きして、「医学生のアトリエ」のテーマの1つでもある“医療×芸術”が、まさに小川先生の歩みの中で体現されていると感じました。
「医学生のアトリエ」では、全国の医学生の皆さんから、絵画・写真・詩・小説・音楽など、ジャンルを問わず表現作品を募集しています。誰かに届くかもしれない、そして何より自分自身と向き合える、そんな表現の場として──、皆さんのご応募を心よりお待ちしています!
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