ケース03(解説編)セフトリアキソンでショックになる感染症

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執筆谷口 智宏(県立広島病院 総合診療科・感染症科部長) 
執筆協力米本 仁史(大和高田市立病院 感染症内科医長) 

(症例編はこちら

解説:レプトスピラ症

歴史

レプトスピラ症は、1886年にドイツのWeilによって黄疸と腎障害を伴う重篤な多臓器疾患の症候群として記載されたのが始まりである1)。当時は、レプトスピラ症と、ウイルスによる黄熱病との区別は困難であり、歴史的にも混同された。1907年にアメリカのStimsonが黄熱病で死亡した患者の腎臓から菌体の末端にフック構造をもつ病原体を見つけ、その形が “?”(=interrogation mark)に似ていたことからSpirochaeta interrogansと命名した2)

病原体の分離は、1915年にドイツと日本で同時期に行われた1,2)。ドイツでは、第一次世界大戦の北仏戦線で塹壕戦が繰り広げられ、衛生環境が劣悪ななか、フランス病(のちにWeil病と判明)が流行し、Hubener、Uhlenhuthらがそれぞれ独自に病原体を発見した3)。日本では、福岡県の炭鉱夫に熱性黄疸と呼ばれる疾患が多発し、福岡医科大学(のちの九州大学)に着任した稲田龍吉は、熱性黄疸をWeil病と考えた4)。門下生の井戸泰らとともに、患者の血液を接種したモルモットの血液と肝臓塗抹標本をギムザ染色したものからスピロヘータを発見し、Spirochaeta icterohaemorrhagiae と命名した3,4)。1918年に野口英世らにより命名が改訂され、現在の Leptospira interrogans serovar Icterohaemorrhagiae(和名:黄疸出血性レプトスピラ、またはWeil病レプトスピラ)の菌名と血清型名に至る4)

その後も黄疸型レプトスピラ症と黄熱病との診断は混乱が続き、Stokes や野口英世といった著名な研究者が病因微生物の発見を試みるなかで命を落とした1)。またStimsonの功績からのちに1966年L. interrogansが種名に採用された2)

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