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【今回の書き手】
福井彩香(同善病院・同善会クリニック、一般社団法人コミュニティ&コミュニティホスピタル協会/コミュニティプランナー、薬剤師)
前回の「手紙」はこちら
※本連載は書き手が交互に入れ替わる「往復書簡」のスタイルで進めていきます。詳細は連載趣旨をぜひご覧ください。
翔くん、お手紙ありがとう。
私は今、東京のとある下町の病院で、北欧のゲーム「モルック」の歓声を聞きながら、この手紙を書いています(余談ですが、モルックが盛り上がりすぎて、楽しい声が聞こえるからと近所のアパートの親子連れが見学に来てくれました。嬉しいですね)。
お手紙もですが、二人で対話をするのも初めてですね。
声をかけてくれてとても嬉しく思うと同時に、思いを言葉にする往復の過程に楽しさを感じています。
「この連載の大きなテーマを考えていきたい」とのこと。
翔くんの手紙の感想を中心にしながら、私なりの問いをいくつか出してみたいと思います。
前回の手紙で
私が働いてきた地域には、幸い「王様は裸だよ」と正直に言ってくれる人がいたり、権威という衣服を脱がざるを得なかったりする場がありました。
でも、すべての地域がそうとは限りませんし、そのような地域にいても、気づかないまま経験を通り過ぎてしまう医療者がたくさんいると思います。
と書いてくれたと思います。
では、なぜ翔くんは気づけたのでしょうか? また、今も十分気づけていると思いますか?


モルックを楽しむ様子。 木の棒を投げて点数の付いたピンを倒し、
点数を競う、世代を越えて楽しめるゲームです。
院内の倉庫を地域の誰もが集まれるフリースペースとして、
モルック以外にも麻雀をしたり、喫茶店風の交流をしたりしています。
このテキストを読んだとき、私は共感すると同時に、「医療者がたくさんいる」という表現に、少し違和感を覚えました。
無自覚かもしれないけれども、“たくさんの医療者”のなかに翔くん自身が含まれていないような、自分は「今は気づけているのだ」という意識が表れているような気がしたからです。
私自身、最近「実は気づけていなかった」と自覚させられる出来事がありました。
先日、友人たちと『孤独の本質 つながりの力』の読書会を開催したときのことです。
著者のヴィヴェック・H・マーシー氏は、オバマ政権・バイデン政権下で米国公衆衛生局長官を務めた人物で、現在WHOの「社会的つながりに関する委員会」の共同議長を務めています。
個人的には、健康のリスク因子である「孤独」を丁寧に解読し、社会的処方などの実践事例が記載された興味深い内容だと思ったのですが、アーティストで会社員の友人から
「孤独(loneliness)を悪だと捉えすぎてないか? 本当に悪なのか…」
と問われました。
最初は正直、「悪者にしているのではなく、孤独が健康のリスクになるのは疫学的に自明であるのに、その対策を考えることの何が悪いのか? 押しつけているわけではない」と反発しそうに…いえ実際に少し反発してしまいました。

公衆衛生学の視点から孤独とつながりを紐解くヴィヴェック・H・マーシー著
『孤独の本質 つながりの力』(英治出版)に加え、
孤独という概念の変遷を歴史的にたどるフェイ・バウンド・アルバーティ著
『私たちはいつから「孤独」になったのか』(みすず書房)も愛読書の一つです。