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【今回の書き手】
福井彩香(同善病院・同善会クリニック、一般社団法人コミュニティ&コミュニティホスピタル協会/コミュニティプランナー、薬剤師)
※本連載は書き手が交互に入れ替わる「往復書簡」のスタイルで進めていきます。詳細は連載趣旨をぜひご覧ください。
翔くん、こんにちは。お元気ですか?
こちら東京は、心地よい風の日曜日の午後です。ノンブラリの「美しい日々」を聴きながら、居間でお返事を書いています。
実はダンサーでもある翔くんが、イベントで素面で踊っていたのに、「医者のくせに~酔いつぶれていた」と誤解され、それを人づてに聞いたという話(第7回)、不謹慎かもしれないけれど、私は素敵なエピソードだなと感じました。
なぜならそれは、翔くんが「医者以外の岩瀬」という一人の人間としての姿を公の場で表現したからこそ生まれたリアクションだと思うからです。
また、「医者のくせに〇〇をしていた」「酔いつぶれていた」といった噂話を、翔くん本人に伝えてくれた人のなかには、きっと医師という肩書きだけではない、翔くんの多面的な姿を素敵だと感じている人もいるのではないでしょうか。そう考えると、この出来事は、翔くんのさまざまな面を理解している距離感の人たちが、周囲にいることの証でもあるように思います。
誰しも最初は、相手の限られた一面しか見ることができません。これは、パートナーや家族、友人といった、より身近な間柄においても同じだと思います。
それでも、「誤解されるのが怖いから真面目な自分しか見せない」のではなく、「誤解がおきる可能性を踏まえたうえでダンスをしてみる」。たとえ、一見ネガティブなリアクションだったとしても、そんな「アクションとリアクションの往復」のなかにこそ生まれる関係性があるのではないでしょうか?


勤務先の同善会クリニック・同善病院の駐車場にいる猫と、最近読んだ3冊の本。
とある筋によると、猫は可愛いアナキストらしい。
数々の本も猫も、私にとっての人生の先達です。
私自身、小中学生の頃、「長女だから、教員の娘だから、しっかりしないといけない」と、あるべき理想の自分像を勝手につくりあげて、自ら選んでいるはずなのに、身動きがとれなくなっていました。
その頃からずっと、「本当の自分って何なのだろう?」と考え続けてきた気がします。
真面目で読書や議論が好きな私も、自由奔放で猫を追いかけて町中を散歩してしまう私も、両方“本当の私”なはずです。
なのに、真面目な側面を見せている相手に、自由な側面を見せるのが怖いと思ってしまう…。
でも本当は、違う一面を出したほうが、しなやかで自由度のある人間関係を築けたり、能力を発揮できることもある。
それはまさに、「アクションとリアクションの往復」だと思うのです。
実際に私は今、「薬剤師」「ビジネスマインド」「創作」という3つの側面を混在させながら、公私の活動に取り組んでいます。
翔くんは「公私混同」の状態が好きだと、前回の手紙に書いてくれましたね(第7回)。
私も、仕事と個人活動の領域が重なることが多く、よく「公私混同だね」と言われます。
ただ、「公私混同」という言葉が成り立つ前提には、本来「パブリック(公)」な自分と「プライベート(私)」な自分は明確に分けられるはずだ、という考えが存在している気がします。
つまり、「『公』と区別できる、ひとつの確固たる『私』」が存在しているという前提です。
けれど、そもそも確固たる『私』なんて、本当は存在しないのではないでしょうか?