明日宮もなか(Twitter:@monaka_asumiya)
第1回 プロローグ
「はぁぁ~,また連ドラの放送開始時間に間に合わなかった…」
登美山杏奈のため息が,誰もいない消灯後の病院の廊下に響いた。
杏奈はこの病院で唯一の研修医。今日から2年目の研修生活が始まった。ちょうど1年前,『みんなから頼られる医師になる』と心に誓った。持ち前のコミュ力とフットワークの軽さで体育会系の上級医達について回り,叱られながらも「指示されたこと」は随分と手際よくこなせるようになった。しかし,どうも“成長できている”という実感がない。何かが足りない。頼ってくださいなんて冗談でも言えない。そろそろ,叱られ続ける毎日から抜け出したい…。
気晴らしにSNSを開くと,動物の癒し画像に混ざって有名病院で活躍する大学同期の写真が流れてきた。暗闇でみるスマホ画面は普段以上にまぶしい。また一つため息をつき,スマホをポケットに押し込んだ瞬間,病室から勢いよく飛び出してきた看護師とぶつかった。
「先生!急変です!」
恐る恐るベッドに近づくと,別の看護師が胸骨圧迫を行っていた。
(え,ガチなやつじゃん…)近くに上級医はいない。初めての院内急変に杏奈はフリーズした。
「先生,次,どうしますか?」
「あ,えと,とりあえず,上の先生を,呼んできます」
震える声で院内当直医に電話した。院内に残っていた別の医師とともに当直医が駆け付けた。
「家族は?」「心拍再開!」「挿管急いで!」
指示が飛び交う混乱した現場で,杏奈はひたすら“邪魔にならないよう”に部屋の隅に立っていた。
「おいお前,突っ立ってるだけなら,せめてこれでも持ってろ」年配の医師に言われるがまま,杏奈は支柱棒の代わりに点滴バッグを掲げた。
(自分は2年目になっても,支柱棒以下だ…)悔しさとふがいなさで押しつぶされそうになる寸前 ,急に左手が軽くなった。
見上げると,カッターシャツに白衣を羽織った男が,いつの間にか準備された支柱棒へと点滴バッグを移し替えてくれていた。見たことのない顔だ。男は少しのあいだ現場を眺めると,穏やかな声で周囲に声をかけ始めた。そこから現場が動き始めた。怒鳴るわけでも指示するわけでもない。涼しい顔で話しかけるだけ。同室患者への配慮,看護師へのねぎらい,急に動いたかと思えば素晴らしいタイミングで物品を手渡している。見とれていると,急に話しかけられた。
「パソコンがないみたいだね。ひょっとして,血液検査のオーダーまだですか?」
「あ,はい,あの,私してきます!」
オーダー中も杏奈は男の様子を目で追っていた。このひとは何者だろう。すべてに無駄がない。きっとこの場の全体像が見えているのだろう。いつの間にか現場に秩序が生まれていた。杏奈は気づいた。
「これだ! いまの私に足りないものは ― “現場をスマートに動かすチカラ”」
ほどなくして患者は当直医とともにICUへと運ばれていった。嘘のように静まりかえったナースステーションで優雅に手を洗う男に,杏奈は声をかけずにいられなかった。
「あ,あの…,先生ですか?」杏奈は間抜けな質問をしてしまった自分に赤面した。
「ん? あぁ,今日から週一でお世話になる非常勤の医者だよ。飛鳥謙人です,よろしくね」
「あ,研修医の登美山杏奈です。えっと飛鳥先生は,救急の先生ですか?」
「いや,違うよ。あ,ひょっとしてきみが最初に対応してくれた研修医の先生? きっとびっくりしたでしょ。夜遅くまでお疲れさま,初期対応ありがとうね」
「あ,いえ,あの…,わたし…,わたし,何もできませんでした。もう2年目なのに,情けないです」
「人を集めたんでしょ? それだけで十分立派さ」
杏奈は自分の耳を疑った。絶対,いつものように叱られると思っていた 。
次の瞬間,自分でも信じられない言葉を口にしていた。
「あの,私を,弟子にしてくれませんか?」今日の私はどうかしている。でも,言わずにいられない。
「弟子? 弟子って,師匠と弟子の,弟子?」
「わたし,患者さんの役に立ちたいんです。関わる全ての人を笑顔にしたいんです。でも,どうも仕事がうまくいかなくて…。私,先生みたいになりたいです! だから,私を弟子にしてください!」
「やる気に満ちているねぇ。もし超スパルタだったらどうするの?」
「(え,マジ? でも,自分の成長のためなら…)えっと…,頑張ります!」
「あはは,冗談だよ。大丈夫,怒鳴ったりしないから肩の力をぬいて。よし,じゃあ週に一回だけど,いつでも遊びにおいで。普段は教育研修センターにいるから,コーヒーでも飲みにおいでよ」
「あ,ありがとうございます! お願いします!」
杏奈はワクワクしていた。杏奈の修業が始まった。
杏奈と仲間の青春研修生活を描く「サバレジ」,次回もお楽しみに!
飛鳥の指導で成長する杏奈の様子は天野雅之先生の「臨床現場の仕事術」をチェック!!(毎週水曜日更新)
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