
明日宮もなか( X:@monaka_asumiya)
(前回はこちらから)
この病院の研修医室は,かつて倉庫として使われていた部屋を改造して作られた。
病室や医局から離れた場所にあり,広くて快適だが,窓がない。
ここに足を運ぶのは限られた人間だけだ。
ほとんどは,この部屋の住人である研修医。
それ以外は,研修医にとっての何かしらの厄介事を持ち込む来訪者。
―コツ,コツ,コツ。
廊下を歩く足音が近づき,部屋の前で止まる。
なぎさはキーボードを打つ手を止め,扉の方へ視線を上げた。
その足取りは,いまもソファに深く身を沈めてスマホを眺めている杏奈のはずはないし, 床をすりながら歩くセリナのものでもない。
ガチャリ。
扉の隙間からのぞき込んできたのは,白衣姿の飛鳥だった。
にっこりと,いたずらっぽく微笑んでいる。
「お疲れさま! ちょっと息抜きに,カフェでもどう?」
杏奈は反射的に背筋を伸ばし,なぎさは静かに画面を閉じた。
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面会時間は終わり,外来もひと段落した時間帯。
院内にあるカフェ店内の客はまばらで,空席が目立つ。
窓のない研修医室とは対照的な大きな窓からは,夕方のやわらかな光が差し込んでいた。
「まずは2人とも,医学生の受け入れを頑張ってくれてありがとう」
飛鳥はそう言って,3人分の飲みものをテーブルに置いた。
「はーい,カフェモカは私です! あ,先生,お代……」
「いいよ,今日は僕が」
ポケットを探っていた杏奈を見ながら,飛鳥が笑顔で返す。
「あの,飛鳥先生。何か,企んでいますか?」
なぎさが訝しい表情で聞きただす。
「おっと,さすが」
飛鳥は笑いながら,封筒を取り出した。
「これを見てほしいんだ」
1枚の書類がテーブルの中央に置かれる。杏奈となぎさは同時に身を乗り出した。
「先月,実習に来てくれていた平城医大の平端くんからの施設評価だ」
2人は無言で目を走らせる。
指導体制,雰囲気,経験の量など,項目ごとに,安定して高評価が並んでいた。
杏奈の肩から,ふっと力が抜ける。
「よかったぁ……」
小さい声だが,どこか弾んでいる。
「指導がよくなかったって言われるかと,びくびくしちゃいましたよぉ」
杏奈はそう言って,少し大げさに肩をすくめた。
「でも,私たちの思いが,ちゃんと伝わってたみたいで,よかったです!」
その横で,なぎさは最後の自由記載欄に目を留めていた。
「最後の欄は,微妙な評価ですね……」
なぎさは頬杖を突きながら中身を読み上げた。
「“内科グランドカンファレンス:自分の不勉強とは思いますが,症例が難しすぎる。発言されている指導医の先生方が少し威圧的で,少し怖かった”」
「あはは,平端君,めちゃくちゃ気を遣って書いてくれてるじゃん。でもこれ本音だよねぇ」
「この評価票は,誰が見るんですか?」
「部長クラス以上は皆,回覧で目にするよ」
飛鳥の回答に,一瞬の沈黙が走る。
「“教育を手厚くする”って宣言してましたし,そりゃあ,先生方も評判は気にしますよねぇ」
杏奈はカフェモカのクリームをすくいながら,どこか他人事のように言った。
「実際,病院のエライ人たちも,この意見はショックだったようだ」
コーヒーを一口飲み,2人の目を交互に見てから飛鳥が続ける。
「院長先生は,“若い人にも評判のよいカンファレンスにしたい”とのことだ」
「……まさかっ!」
杏奈となぎさが,飛鳥を見つめ返す。
「“研修医を中心に,カンファレンスを改革してほしい”とのご依頼だ」
なぎさは眉をひそめた。
「急に変えて……大丈夫でしょうか? しかも,研修医である私たちが…」
「大丈夫だよ」
飛鳥はそう言って静かに微笑みながら,深くは説明しなかった。
「飛鳥先生,なんでちょっと楽しそうなんですかっ!」
杏奈が口をとがらせる。
「若者の特権だからさ,頑張ってほしいなって」
飛鳥は笑った。
「もちろん,僕も陰ながら全力でサポートする。それに,この欄外を見て」
飛鳥は書類を持ち上げると,欄外に書かれた小さな一文を指さした。
【湯之原先生のレクチャーはとてもわかりやすかったです】
「逃げられないですねぇ,湯之原センセッ!」
杏奈が吹き出した。
「こういうの書かなくていいから……」
そう言いながら,なぎさは視線をそらす。頬が少し赤くなっていた。
「それで,わたしたち,何からすればいいですか?」
杏奈がいつもの調子で前に出る。
「まずは,観察が大事だ」
「観察……ですか?」
2人が飛鳥を見返す。
「そう。来週のグランドカンファレンス,杏奈さんはこれまで通り最前列で,そしてなぎささんは特別に最後列で,様子を観察してほしい」
「えぇー! 私も後ろがいいです!」
杏奈が不満そうに答える。
「でもね,カンファ嫌だなぁって思いながら参加している人の視点も大事なんだよ」
「なんで,わたしの気持ち知ってるんですか……もう,わかりました!」
杏奈はしぶしぶ了承した。
「なぎささんも,頼めるかな?」
「はい」
なぎさも短く答えた。
こうして,カンファレンス改革プロジェクトチームが立ち上がった。
(次回へつづく)
杏奈と仲間の青春研修生活を描く「サバレジ」,次回もお楽しみに!
飛鳥の指導で成長する杏奈の様子は天野雅之先生の「臨床現場の仕事術」をチェック!!(毎月1回水曜日更新)
