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執筆・撮影:田中 夏実(みんなの北診療所 所長)
(前回よりつづく)
2025年1月、わたしは4月から自分が所長となる生協北診療所(東京都北区)に初めて出勤した。
「生協北診療所」という看板が掲げられた診療所は、診療所にしては大きすぎる建物で、地上4階建て、敷地内には以前透析を行っていた別棟や、医局が入るさらに別の建物も併設されていた。建物は相当古く、外壁にはツタが絡まっていて、標榜科などを掲げた看板はボロボロだった。中は薄暗く、寒い。夏でもエアコンが必要なさそうである。蛍光灯はチカチカとまたたいたり、ジーーという音を常に出しているものもあり、今にもネズミが横切りそうな雰囲気だ。薄暗く幅広い廊下には、寒さ対策でところどころにストーブが置かれていた。
1階には、診察室4つと処置室、X線とCT撮影室とは別に検査室という広い部屋があり、使われているのかわからない古い検査機器が並んでいた。他に職員の休憩室や事務室があった。2階・3階は、更衣室や休憩室として一部使われているほかは、使用されていない病室が残されていた。カーテンだけが残った、がらんとした病室は、意外なほど明るいのが救いだった。そこだけ時間が止まったような、よくお化け屋敷の舞台として使われる廃墟となった病院かのような空気が漂っていた。
生協北診療所は、この建物で2025年5月まで診療を継続したあと、東十条駅の反対側に移転し、6月に「みんなの北診療所」として生まれ変わった。ただでさえ、診療所経営の難しい時代である。このプロセスには、さまざまな課題や困難、そして希望があった。地域に根差した「医療生協(医療生活協同組合)」を母体とする診療所のリニューアルと、家庭医療専門医になりたての新所長の悪戦苦闘を、今回からお届けする。
組合員≒患者が支えてきた診療所
透析が行われていた別棟は1階の渡り廊下の先にあり、何台ものベッドと、まだ使える機械が整然と並んでいた。透析はかつてこの診療所の看板だったが、競合が増えるにつれて赤字が膨らみ、担当医師の退職に伴い少し前に閉鎖されたと聞いていた。
この建物には、50年の歴史がある。元は、今とは別の法人が経営する「北病院」という名前で、約半世紀前の1974年、つまり、わたしが生まれた年に設立された。労働組合運動を基盤として「みんなの医療、みんなの病院」をスローガンに掲げて設立された病院は、一時は病床150床、職員200人を超えていたという。使われていない病室も、並んだままの透析ベッドも、ネズミが出そうな廊下も、診療所としては広すぎる敷地も、その歴史の記憶だった。
1997年に医療法人社団 北病院と東京北部医療生協(現・東京ほくと医療生活協同組合)が合同し、2006年に病院から診療所に移行した。昨今は、大幅な赤字が続いていたという。建て替え案もあったが、建築費の高騰を受けて立ち消えとなり、「いっそ閉鎖してはどうか」という声も法人の中にはあったという。
それでも閉じなかった。
医療生協は、組合員の出資金で成り立っており、今まで支えてくれた地域の組合員の多くが患者でもあった。また、診療所の利用委員会という形で、診療所の地域活動や組合員勧誘にも協力してくれた人たちだ。組合員にとってみれば、自分のお金と労力を払って支えてきた、かかりつけ診療所がなくなってしまうということになる。
これまで支えてくれた組合員を見捨てる形になることは避けたい。だから、土地を売却して賃貸物件へ移り、規模を縮小してでも続けることになったという。その構造改革と、診療所の縮小・移転が、わたしに与えられた任務だった。
生協北診療所の正面玄関。
青々とした木とのコントラストがまぶしい。
この地域に「家庭医療」の診療所を
専門医を取得した翌年に所長になる、というのは、早すぎると考える人もいるかもしれない。生協浮間診療所(東京都北区)で家庭医療のレジデントとして過ごし、無事に専門医を取得したが、医師としての年数はまだ浅い。
それでも着任を決断したのは、ひとつには、年齢のためだった。社会人を経て医師になったわたしは、すでに50歳になっていた。これ以上年を重ねれば、体力も気力も、少しずつ落ちていくだろう。責任ある仕事を引き受けるなら、今しかない――。そんな直観があった。
もうひとつは、法人の中に、自分の足場をきちんと築いておきたかったからだ。早く責任ある仕事を引き受けてしまったほうがいい。そう考えた。遅れて医師になったからこそ、残された時間をどう使うかという感覚は、人より切実だったのかもしれない。迷っている余裕は、あまりなかった。
そして、いったんやると決めてしまうと、恐れより先に“ベンチャーマインド”とでもいうようなものが、ふつふつと湧いてきた。
わたしは当初、文系大学を就職氷河期に卒業し、独学でウェブデザインを学んで派遣会社やベンチャー企業などで働いていた。その後、独立して1人で仕事をしていた時期がある。その時の感情を思い出した。時代や環境がどうであろうと、自分の人生は自分で切り拓いていかなくてはならないのだ。
この廃墟を取り壊し、新しい診療所をつくる。
移転に向け、「診療所リニューアル委員会」という組織に加わった。法人の理事や統括所長、専務らとともに、新しい診療所の姿を、場所選びや構想から考えていく。どこに、どんな診療所として生まれ変わるのか。
わたしが実現したかったのは「家庭医療の診療所にすること」。これが第一の目標だった。
北区東十条という土地は、隣の十条と合わせて商店街が栄えており、診療所や病院も数多くある。しかし「家庭医療」や「総合診療」を大きく掲げた診療所は見当たらず、必ず需要はあると思っていた。
また、それまでの生協北診療所でも、所長をはじめ医師は循環器内科や呼吸器内科などの専門医だった。実際の診療内容は必ずしも専門科に限定しているわけではなかったが、「家庭医療」を実践しているとは言えなかった。 地域への家庭医療の普及に貢献すること、これが自分のやるべきことだと考えた。
ついでに言えば、犬と一緒に受診できる診療所にできないか、犬とのお散歩会をもっと広げられないか、という、いささか私的な目論見もひそかに抱いていた。
生協浮間診療所の地域でのお散歩会の様子。
みんなの北診療所でも行いたいのだが、まだ実現に至っていない。
「みんなの」診療所になるべくして
所長就任にあたって、診療所を生まれ変わらせるためには、3つの条件が必要だと考えていた。
・生協浮間診療所と共同で家庭医療の診療所とし、いずれ教育診療所として家庭医の育成を行う。
・職員、特に管理職は、新たな理念を共有できる人材を配置する。
・自分自身も週1~2回は生協浮間診療所での診療を継続する。
生協北診療所には約50年前に設立された北病院以来の歴史があり、古参の職員が集まっていた。これまでの文化が色濃く残っており、新参者が1人異動して奮闘したところで、何も変わらないだろうと予測できた。一緒に働いてくれる家庭医がいるわけでもなく、今までの生協浮間診療所の家庭医たちと一緒なら改革を実行できると考えた。自分だけが孤立してしまうのを避けるため、また家庭医としての研さんを続けるため、生協浮間診療所での診療も継続させてもらうことにした。
今まで働いていた生協浮間診療所も、生協北診療所ほどではないが十分に老朽化していた…。
いわゆる発展途上国から来た見学者も「懐かしさを覚える」とのコメントを残した。
心機一転、リニューアルした診療所をアピールするうえでも、名前を変更したいという思いを、リニューアル委員会の多くのメンバーが共有していた。いろいろな案を出して決まったのが「みんなの北診療所」である。
北病院が設立されたときのスローガン、「みんなの医療、みんなの病院」を意識したわけではない。むしろまったく知らなかった。病院の歴史を調べていて初めて知り、その偶然の符合に驚いた。わたしと同い年の病院が、50年経って同じような場所に回帰してきたような、不思議な感覚を覚えた。
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新しい診療所となる物件は、不動産会社に依頼して探していたが、エレベーターのない2階、家賃が高すぎる、狭い…など、条件に合うものはなかなかなかった。こういうときは、コンサルティング会社に地域の調査を頼むなり、しかるべき手順を踏むのだろう。診療圏の人口、競合の分布、患者の動線――。調べておくべきことは、いくらでもある。ところが、そうはならなかった。
近所に住む同じ法人に属する医師が通勤中にたまたま見つけた空き物件(!)が、広さや家賃や場所の条件をまあまあ満たしていたので、そこに決めようということになったのである。今思っても安直であったが、当時のわたしには土地勘もほとんどなく、この場所がどういう診療圏の中にあるのかも、よくわかっていなかった。
それでも、とにかく前に進めなければ、話は動かない。ここで自分が水を差しても仕方がない――。そう考えて、反対はしなかった。その後、診療所の場所や広さが原因でさまざまな問題が生じることになるとは、このときは想像できていなかったのである。
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田中夏実
みんなの北診療所 所長
1974年生まれ。いわゆるロスジェネ、団塊ジュニア世代。中沢新一『雪片曲線論』(青土社、1985)に衝撃を受け、文系の大学に進学。就活に身が入らず、卒業後は独学でウェブ制作の技術を学び、派遣社員、ベンチャー企業、システム開発会社などを経て独立した。リーマンショックの打撃を受け、人生を考え直す。信州大学医学部入学、市立大町総合病院で初期研修、2020年より生協浮間診療所・医療福祉生協連 家庭医療学開発センターにて総合診療および家庭医療の専門研修。2025年春より生協北診療所(同年8月に「みんなの北診療所」に改称)所長に就任。個人note:https://note.com/nu_family