第3回 赤池(赤ひげ)ではなく徳重に 
―診断か? それ以外か?

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前回からつづく

 総合診療医を主人公とする漫画『19番目のカルテ―徳重晃の問診』が、TBS系列「日曜劇場」にてドラマ化され、大きな反響を呼びました。そこで本連載では、その原作漫画家の富士屋カツヒト氏と、常に「総合診療」の最前線を走り続け、ドラマの医療監修も務めた生坂政臣氏をお招きし、『19番目のカルテ』、そして「総合診療」について、語り合っていただきます。第3回は、いかに「総合診療」を行うかその教育や制度上の課題にもわたり、じっくりお話をうかがいました。(編集室)

※今回の内容にはドラマ「第1話」「第5話」に関する ネタバレ が一部含まれますのでご注意ください。

富士屋カツヒト
(漫画家、漫画『19番目のカルテ』著者)

生坂政臣
(千葉大学名誉教授、生坂医院、日本専門医機構 総合診療専門医検討委員会委員長、ドラマ『19番目のカルテ』医療監修)

 

――前回は、ドラマも漫画も、そしておそらく診療も“尺”(時間や紙幅)に制限がある、という話で締めくくられました。生坂先生から、ドラマでは撮影はしたが放送されなかったものもあるとうかがいましたが、たとえばどのようなシーンがカットになったのでしょうか?

生坂 「診断」にまつわる部分は、けっこう割愛されていました。たとえば、ドラマ第1話で後に線維筋痛症と診断される患者さん(演=仲里依紗)が、過換気症候群を起こすシーンでは、酸塩基平衡の異常から「テタニー」を起こしている“産科医の手”を細かく演技指導したんです。でも、どうしても放送には入りきらず、里依紗さんがとても上手にできるようになっていたので残念な思いもありましたが、そのシーンがなくなって物語の流れが格段によくなったのは間違いありません。

富士屋 話数がもう少しあれば、「診断」だけに焦点を絞った回もあってよかったかもしれません。「鑑別診断」のプロセスは非常に面白いですし、医師がどのように自分の病気を診断していくのか、われわれ患者の側も知っておいたほうがよいと思いますから。

 漫画では、専攻医の滝野(演=小芝風花)が、疑わしい疾患を多数あげ、さまざまな所見を集めて絞り込んでいくプロセスを、けっこう入れています。医師がどのように考えて診断しているかという頭の中は、もっと見たいと思いましたね。

生坂 原作漫画の総合診療の“診断あるある”は、けっこう取り入れられてはいたんです。たとえば、前回も話題にした咽頭痛からの「心筋梗塞」(ドラマ第1話)や、下肢麻痺からの「大動脈解離」(ドラマ第5話)。大動脈解離の患者さん(演=吉田ウーロン太)では、電話で相談を受けた徳重(演=松本潤)が、漏れ聞こえたモニター音から「心音は整」と判断していたことが、下肢の心原性塞栓ではなく大動脈解離を疑う伏線になっていました。

富士屋 診断プロセスを細かく説明すると、情報過多になってしまうんですよね。漫画の場合、パラパラ読み飛ばしたり、後でまた戻ったりできるのがいいところです


第11話「“当たり”の医者」より©富士屋カツヒト/コアミックス
第10・11話(3巻収載)では、総合診療専攻医・滝野(演=小芝風花)の初当直の一夜が、他科当直医との交流を含め描かれた。飲み会帰りに突然の下肢痛で救急外来を受診した患者は、下肢X線に異常なし。本人も元気そうで帰宅したがっていたが、滝野は急性下肢動脈閉塞を疑い引き留めたものの、実は…。ドラマでは第5話に、この患者のエピソードが挿入された。

――富士屋先生はXで、他科医師同士の絡みももっと見たかったとポストされていましたね。

富士屋 「総合診療」を本作の題材に選んだ理由の1つは、「他科」を含む医療者のドラマも描きたいと考えたからでした(詳細は本連載第1回参照)。医療者というのは、医療という「仕事」をして生計を立てている人たちです。仕事ですから、当然やり方に違いが出てきます。そこで、総合診療だけにスポットを当てるのではなく、他科医師の仕事のやり方についても描きたいと試みてきました。“スーパードクター“が活躍するのではなく、「医療者」も「総合診療医」も数ある仕事の1つとして、“普通の人”たちが試行錯誤しながら働いているところを描けたらと思っています。

「アブダクション」で迫る“普通の人”たち

――漫画『19番目のカルテ』には、患者さん・ご家族も医療者も、多彩な“普通の人”が登場します。本連載第1回で、漫画の「人間ドラマ」部分は、富士屋先生の人生観もふまえて描かれているとうかがいました。どのように、その人生観を培われてきたのでしょうか?

富士屋 だいぶん遡るのですが(笑)、高校に入りたての頃、私はあまり友達ができなかったのです。それこそ人と話すのは苦手でしたし、うまくコミュニケーションがとれませんでした。そこで、どうすれば人と仲良くなれるのか、クラスメイトの言動をジッと観察するようになったのです。人の言動とそれに対する反応のパターンをどんどんインプットしていきました。実家があまり円満でなく、なぜうちはこうなんだろう…と、心理学・精神医学的なことに関心をもち、いろいろ調べたりもしていました。

 なぜ、この子は友達が多いのか? なぜ、この子の発言は注目されるのか? なぜ、この子はモテるのか?(笑) 1年くらい皆の言動を見ていると、なんとなくそれがわかってきました。インプットしたコミュニケーションのパターンを、自分で試してみるようにもなりました。すると、友達もできるようになったのです。

 なぜ、あの子は勉強できるのか? なぜ、自分はできないのか? これも、やはりジッと観察しました。結局、勉強はできるようにならなかったのですが(笑)、同じように見えても結果は違っている、その原因となっている小さな事象が見えるようになってきたのです。これは、本連載第1回で「原因には結果がある」とお話ししたことにもつながっています。

 ですから、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」の積み重ねです。そうこうするうちに、この人にこう言えば絶対こう返ってくる、といった“パターン”のようなものが、ぼんやり見えてくるようになりました。それをキャラクターに落とし込むには、漫画家としてまた別の技量が必要ですが、最近は確度も上がってきて、それを活かせるようになってきています。やっと「キャラクターづくり」がわかってきた感じです。その上に、「なぜ」このシーンにならなければいけないのか、を積み重ねてストーリーを創っています。

生坂 もちろん全員違うのですが、たしかに患者さんの行動にもある種の“パターン”があります。ただし、これは限られた類型に患者を当てはめるという意味ではありません。

 推論のプロセスは主に「演繹法」と「帰納法」に大別されますが、医師がよく使うのは「ある疾患のパターンが目の前の患者に当てはまるか」を演繹するものです。演繹法のほうが短時間で確実な結果が得られるからです。一方、帰納法は網羅的な情報収集が必要なので、外来診療では実行困難な推論法です。幸い、ほとんどの器質的疾患は仮説演繹法で対処できます。

 しかし、生物・心理・社会的に複雑なケースでは、帰納法が必要になります。私は、帰納法に演繹を折衷した「アブダクティブ・リーズニング」を用います。まずは患者さんの話を時間をかけて聞き、その全体像を説明できる仮説を立てて、それに基づく介入を行い、うまくいけば、その仮説は間違っていなかったと結論づけるプラクティスです。エビデンスや確率を考慮せずに推論する点で、仮説演繹法とは異なっています。問題が解決しても、仮説に基づく介入が功を奏したのか、自然経過なのかの証明が困難という曖昧さは残りますが、総合診療の外来で「医学的に説明困難な症状(medically unexplained symptoms:MUS)」と向き合う有益な推論方略です


第10話「準備と“信頼”」より©富士屋カツヒト/コアミックス
第10話(3巻収載)は、滝野(演=小芝風花)の初当直の夜、魚虎総合病院の当直医ラウンジには多士済々の各専門医が集まった。ドラマでは、小児科・有松を木村佳乃、救命救急科・金山をカトウシンスケ、心臓血管外科・茶屋坂をファーストサマーウイカ、精神科・天白を矢部太郎、外科・東郷康二郎を新田真剣佑ら、錚々たる俳優陣が演じた


——個別の人物像を創り出す「キャラクターづくり」と、総合診療における「問診」には、通底するものがある気がしてきました。

生坂 そうだと思います。富士屋先生は、いい総合診療医になりそうです。

富士屋 僕は勉強はぜんぜんできませんから(笑)。

生坂 いえ、これは学校の勉強の問題ではありません。家庭医療学では「患者中心の医療」を行うためにさまざまな理論が用意されていますが、たとえば“赤ひげ”はそれらを勉強したわけではないと思います。診断もそうですが、経験知だけでできるようになる人もいるわけです。漫画の徳重は理論を実践できており、富士屋先生が”勉強”ではなく、これまでの人生経験だけで「患者中心の医療」を見事に描写されていることに本当に驚かされます。

――経験が浅かったり、価値観や生活レベルの似通ったコミュニティに生きていると、どうしても自分のもの見方にとらわれがちです。先生方のような人の見(診)方をするには、どうすればよいでしょうか?

横山(ゼノン編集部) あの、もっと「漫画」を読めばいいのではないでしょうか…?

富士屋 そうですね(笑)。漫画に限らず、ドラマでも映画でもアニメでも小説でも、いろいろな創作物に触れるのはよいと思います。さまざまな人物が描かれており、それは単に空想の産物というわけではありません。人と話す機会にもなりますし、周囲の人や自身の反応を観察してみるとよいのではないでしょうか。

生坂 はい。これからは私も、もっと「漫画」を読もうと思います。

「徳重」は“赤ひげ”ではなく“普通の人”

――「徳重」というキャラクターに具体的なモデルはいるのでしょうか?

富士屋 それはいません。当初、『医療探偵「総合診療医」―原因不明の症状を読み解く』(山中克郎、光文社、2016)という本を読んで、徳重がホームズ、滝野がワトソンという設定もあがっていましたが、それはどこかへいってしまいました(笑)。

――そうとは知らず、山中克郎先生には「『19番目のカルテ』を読んで答える! あなたの“ドクターG度”検定&深読み解説」(総合診療、2021~2022)という連載をご執筆いただきました。ドラマ化に伴い本連載を復刻していますが、つい先日も漫画第13話について新作を書き下ろしていただいたところです。ご縁を感じました。

富士屋 ありがたいことです


第13話「“不和”を生むもの」より©富士屋カツヒト/コアミックス
第13話(3巻収載)では、泌尿器科医と婦人科医の“不和”が描かれた。患者は排尿時痛を訴える女性で、尿検査に異常はなく、泌尿器科医は婦人科にコンサルト。しかし婦人科でも異常を認めず、泌尿器科の再受診を勧める。しかし徳重(演=松本潤)が診察すると…。(本エピソードを読み解いた、山中克郎先生のご執筆もぜひご覧ください)

生坂 富士屋先生はおそらく、主人公、いわばヒーローであるはずの「徳重」も“普通の人”として描いておられますよね?

富士屋 そうですね。ドラマの徳重は、よく「ごめんなさい」と謝ります。この人は、これまでにたくさん怒られてきたんだと思いました。注意されてばかりいたから、テクニックを身につけてきた経緯がありそうだと感じます。これはドラマオリジナルの描写ですが、私が描いてきた徳重像をうまく表現してくれています。素晴らしいキャラクターの掘り下げ方だと思いました。

生坂 一方、赤池医師(演=田中泯)には、“赤ひげ”を投影させていますか? 

富士屋 はい、そう考えています。

生坂 ドラマ第5話に、茶屋坂先生(演=ファーストサマーウイカ)が「全部テクニック」「計算づくの寄り添い、まがい物の優しさ」と、徳重を見透かすシーンがありました。これには、私が脚本の坪田文さんに「徳重は赤池(赤ひげ)にはなれないからテクニックでカバーしている」と話した経緯があります。「徳重」の人物像として合っていますか?

富士屋 ええ、合っています。

生坂 ホッとしました。赤ひげといえば「総合診療医」を象徴する存在ですが、彼は“スーパードクター”です。もし徳重が“赤ひげ”だったら、今回の医療監修はできなかったろうと思います。

富士屋 徳重を“赤ひげ”にはしたくないという思いは、早くからありました。彼は、患者さんの話を聞くという「仕事」をするために、自分なりのやり方を試行錯誤してきた人です。

生坂 ですから、「徳重」というキャラクターは泣きませんよね?

富士屋 はい、今の徳重は泣きません。以前は泣いていたかもしれませんけど。

生坂 滝野は、患者さんに感情移入して泣いています。私も、若気の至りでよく泣いてました。でも医者が泣いていたら、患者はどうすればいいのか。それではプロではありません。

富士屋 医師だけでなく、「仕事」とはそういうものですよね。涙を流している場合ではない…。漫画も泣いていたら描けません(笑)。

生坂 前回、「憑依」するように患者さんの話を聞く、という話をしましたが、憑依するというのは感情移入することではないのです。感情移入してしまうと、本当に人格まで乗っ取られかねません。憑依するには、むしろ一歩引いて、自身を含めて俯瞰する必要があります。ですから私は、憑依し始めた頃から、泣かないのではなく、泣けなくなりました


第9話「“医者”の顔」より©富士屋カツヒト/コアミックス
第8・9話(2巻収載)では、医学部卒業後4年目で離島の診療所に赴任した、若き日の徳重(演=松本潤)と赤池(演=田中泯)の交流が描かれた。初めての看取りのあと、患者の苦悩を知って無力感を覚える徳重に、赤池が波止場で声をかけると…。

“赤ひげ”になれない代わりに

――先ほど生坂先生から、カットされた「診断」のシーンより、患者さんの物語にスポットを当てた「それ以外」のシーンのほうが大切だというお話がありました。それこそ「診断」の“スーパードクター”である先生が、そうおっしゃると少し意外な感じもします。実際、生坂先生が翻訳された『外来によく効くBATHE法』(MEDSi、2020)の序文には、「研修医時代から患者の話を聞くのは苦手」「病歴が無駄話にしか聞こえなかった外来は嫌い」といった記述もあります。

生坂 今でも苦手ですよ。妻に「患者さんの話は聞くのに、私の話は何も聞いてくれない」とよく言われます(笑)。でも、だからこそです。私も、徳重同様“赤ひげ”にはなれませんから。

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