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【今回の書き手】
岩瀬 翔(前・青ヶ島診療所、多摩総合医療センター総合診療科/医師
※本連載は書き手が交互に入れ替わる「往復書簡」のスタイルで進めていきます。詳細は連載趣旨をぜひご覧ください。
今回も温かく味わい深いお手紙をありがとうございます。
あやかさんの「患者さんなのにすごい」「障害や病気があるのにすごい」という言葉への違和感が、私自身がここ数年感じてきた自分の夢に対する違和感と重なりました。
私は昨日、青ヶ島郷土芸能保存会の総会に参加しました。江戸時代から公伝されてきた島唄や島踊りを記録し、伝承していこうという会です。
島内のお祭りだけでなく、八丈島や都心のイベントにも出演し、80歳を過ぎてもパワフルな「お年寄り」と呼ぶのは恐れ多い方たちが、会の中心となっています。行事のあとには、宴会を楽しみながら、即興の唄を一緒に歌ったり、島言葉を教えてもらったりもしました。
このような場も、もし見学に来た人がいれば「お年寄りなのにすごい」という言葉が出るかもしれません。私自身も「お年寄りなのにすごい」という感覚が少しあると思います。でも今は、違和感のほうが強い気がします。
今日は、なぜ私は自分の夢に違和感を抱き始めたのか、あやかさんの言う「患者をめぐる社会のバイアス」に気づかされたエピソードについて書きたいと思います。

郷土芸能保存会主催の青ヶ島村の「月見踊り」。
「楽しみは自分たちでつくる」の精神。
「医療という武器で、理不尽と闘いたい」。それが、医師を志した頃の私の夢でした。
最初の手紙(第1回)でも少し触れましたが、小学3年生の時、友人が新潟県中越地震で被災しました。友人が突然、理不尽な状況に置かれて苦労している姿を見て、「なぜこんなことが起きるのだろう」と強く思ったことが原体験になっています。高校生の頃には「医療という武器で、理不尽と闘いたい」という夢を胸に抱き、自治医科大学に進みました。
ただ、医学部を卒業する頃から、この夢に少しずつ引っかかりを感じ始めました。
きっかけは、医学部6年生の時にインドに旅行し、日本人の知人宅にお邪魔したことです。その方の職場を見学し、仕事や人生の相談にのってもらうだけの予定でしたが、さらにご自宅に泊めていただくことになりました。
家に入りご家族に挨拶をして初めて、障害のあるお子さんがいることを知りました。
それまでも障害のある方と関わることはありましたが、ボランティアや病院実習など「前提や役割のある関わり方」しかしてきませんでした。
障害がある方やそのご家族との“前置きのない出会い”は、それが初めての経験だったのです。私は「正しい振る舞い方」を探そうとして、緊張や焦りを感じました。
でも、その子やご家族は、私の緊張をよい意味で気に留めず、とても自然に迎え入れてくれました。
そのまま2泊させてもらい、他の兄弟とも一緒に楽しく遊びながら、私は幸せな時間を過ごしました。
その時間を通して、慣れない海外生活で不便も多いはず「なのに」、障害があるために人より苦労することも多いはず「なのに」、といった私の考え方はゆっくり溶けていきました。
このとき、私は自分の夢に違和感を抱き始めました。

シマの先輩たちに教えてもらいながら育てた大根。
「分け合えば余る、奪い合えば足りない」の精神。
たくさんできた作物は軒先に並べて仲間と分け合う。