第4回 副院長


明日宮もなか(Twitter:@monaka_asumiya)


(前回はこちらから)

飛鳥が非常勤医師として北部医療センターに赴任して1カ月が経った。飛鳥の勤務日は毎週水曜日だ。午前はERで杏奈となぎさを指導し,午後は教育研修センターで書類作業を行う。新しい生活リズムにもようやく慣れてきた。

 

院内のカフェで昼食を済ませた飛鳥は,午後半日を過ごす教育研修センターへ向かった。病院2階の奥にある秘密基地感の漂う6畳ほどの小部屋だ。窓はあるものの北向きなので日当たりは悪かった。奥の壁面には研修医の予定や見学スケジュールを書き込むための大きなホワイトボードがあったが,その白さが部屋の寂しさを一層際立たせていた。

 

ホワイトボードの反対側に壁付けされたデスクが飛鳥の定位置だ。デスクは年季が入っていたが,椅子は新調されていた。飛鳥は白衣を脱いでハンガーにかけ,ハイバックでほどよい硬さのオフィスチェアに腰かけた。隣には教育研修センター専属の事務員のデスクがあるが,事務員は席を外していた。

 

飛鳥はくるりとチェアを回転させ,改めて部屋を眺めた。部屋の隅には歴代の研修医の名前が刻まれたプレートが飾ってある。まさか自分がここに座ることになろうとは予想もしていなかった。ふと,昨年末のやり取りが思い出された。

 

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ある冬の寒い日。6階の廊下から見る病院の中庭は,葉の落ちた木々ばかりで活気がなかった。勤務調整のため何度か北部医療センターに足を運んでいた飛鳥だが,副院長室に来るのは初めてだった。ノックをすると,不機嫌そうな表情を浮かべた小柄な男性がドアを開け,飛鳥を中に招き入れた。

 

「はじめまして,飛鳥謙人と申します。来年度から週一でお世話になることになりました。どうぞよろしくお願いいたします」
「副院長の宗平(むねひら)です。まぁどうぞ,おかけください」

 

深く沈む革張りのソファーに座りながら,飛鳥は予想外に重い部屋の空気感の原因を探っていた。相手を怒らせるようなことは何もしていないはず。たまたまタイミングが悪かったのか,それとも,これから飛鳥が取り組む教育の仕事に対する双方の解釈が異なっているのか…。世界観のズレに注意しつつ,飛鳥は慎重に言葉を選び会話を続けた。

 

「本日はお忙しいなか,お時間を作っていただきありがとうございます。臨床研修の責任者を宗平先生が引き継がれたと院長先生からお伺いしまして,ぜひご挨拶させていただきたいと思いお伺いしました」
「教育の責任者ねぇ」
宗平の表情は暗い。

 

「先生は心臓血管外科でいらっしゃいますよね。お忙しいなかでの教育業務,大変ですよね」
「いや,もう手術をバリバリやる歳でもないからねぇ。去年の秋頃,教授が急に“北部医療センターの教育体制を整える”と言い出して,いきなり私と部下の派遣が決まり,来てみたら“研修センター長をやれ”なんて言われましてねぇ。私は大学にいるときから健診をやりたかったんですよ。でも院長が“まずは教育だ。研修医を集めることができたら健診センターも考えてやる”って言うもんだから,仕方なくセンター長を引き受けただけなんですよ」
「そうなんですね。私も院長先生からのご依頼を受けております。微力ながら,人を集めるお手伝いをさせていただければと考えています」
「院長から聞いてますよ。ただ,あなたは他病院の,しかも臨床研修におけるライバル病院の医者でしょう。失礼な言い方になるかもしれないけど,正直に申し上げて,バイトなんて金稼ぎが目的じゃないですか。バイトの医者に任せて結果を出してくれるか,疑問なんですよ。若手をそっちに引き抜かれたりしても困るし」
「(なるほど,そういう解釈か…)」
不機嫌の理由に,飛鳥は納得した。

 

「大丈夫ですよ,宗平先生。私の任期は院長先生がご退官なさるまでの限られた期間なので,若手とそこまでの関係を築くことは難しいでしょう。私は院長先生にはご恩がありまして,所属や稼ぎに関わらず,恩返しのつもりで精一杯させていただきます。ところで先生,実はすでに二人ほど,来年度からたすき掛けで来てくれそうな研修医の目星が付いています」

 

急に宗平の表情が明るくなった。
「ほう,それはよい話ですね」
「はい,近々,面接の予定が組まれると伺いました。宗平先生にも予定調整のご連絡が来るかと思います」
「それは,ぜひ」
少し間をあけて,宗平がゆっくりと話し出した。
「ところで飛鳥先生,妙な話と思われるかもしれませんがね,ちょっとお願いしてもよいですか。他病院の先生がね,教育の中心に関わっているというのを大々的に言うのもまぁ,色々とあるじゃないですか。先生が活動しづらくなるのもアレですし,先生のことを思うと,ここで働いている間は“所属病院を隠す”,“所属病院の宣伝をしない”,ということを守っていただけませんかね。特に登美山杏奈さんには,しっかりと働いてもらいたいのでねぇ」
「…わかりました」
「それと,あなたのゴールは次の研修医マッチングにおけるフルマッチですからね。できれば外科志望の人を入れたいですね。くれぐれもよろしく頼みますよ」
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数カ月たったいまも,飛鳥の胸中にはあの時の“違和感”がまだ残っていた。
「(宗平先生…つかめない人だ)」

 

あれから宗平と対話していない。事務員の話では,とりあえず研修医が2人いる現状に満足げな様子らしい。飛鳥は軽く溜息をつき,気持ちを切り替えて午後の資料整理に取り掛かった。たった2人の研修医でも,必要な書類業務は山ほどある。ゆっくりできるのは,まだ相当先になりそうだ。

(次回へつづく)


杏奈と仲間の青春研修生活を描く「サバレジ」,次回もお楽しみに!
飛鳥の指導で成長する杏奈の様子は天野雅之先生の「臨床現場の仕事術」をチェック!!(毎週水曜日更新)

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