第8回 語らい

明日宮もなか(Twitter:@monaka_asumiya)


それからしばらく,なぎさは缶コーヒーを手で転がしながら,ベンチに腰掛けていた。
眼下に広がる街の景色はすっかり夕焼け色に染まっていた。
「(どんな顔をして部屋に戻ればいいんだろ…。杏奈,もう帰ったかな…)」
コーヒーをベンチに置くと,なぎさは両腕を後ろに突き,だらしなく空を仰ぎながらため息をついた。

 

「ピピッ,ガシャ」
キーロックの解除音が鳴り,中庭の扉が開く音がした。
なぎさは慌てて座り直し,景色を眺めるふりをしながら足を組んで澄まし顔を作る。
耳をそばだてると,入職以来,なぎさが今まで何度も聞いてきた足音が近づいてくる。

 

呼吸が早くなる。小さく深呼吸をする。
組んでいた足をほどいて振り返ろうとする。
それより先に,後ろから声がかかる。

 

「なぎさぁ,ここだったのかぁ。病院中を探したよ,心配したじゃん!」
杏奈がいつものテンションで,でも少し申し訳なさそうな声色で話しかけた。
なぎさは杏奈の顔を一瞬見たが,ばつが悪そうにすぐに俯いた。

 

「となり,座っていい?」
「…うん」
「あ,もうコーヒー買ってんだ。私もなんか飲もうかな」
ベンチの前を横切り,杏奈は自動販売機に歩いていく。

 

「…え~,どれにしよっかな…」
沈黙を埋めるように,杏奈はわざとらしく独り言をつぶやく。
杏奈はコーラを片手に戻ってくると,なぎさの隣に腰掛けた。

 

しばらくの沈黙。

 

杏奈が口を開く。
「さっきは,その,ごめんね。私,いい話し相手になれなくて」
なぎさは俯いたまま答える。
「ううん,違うの。せっかく話してくれたのに,余裕がなくて…。あんなこと言うべきじゃなかった」

 

なぎさはそーっと顔を上げ,杏奈の顔を見る。
「私のほうこそ…ごめん」
気まずそうな表情のなぎさに,杏奈が笑顔で返す。
「よかったぁ。絶対,嫌われたと思って,もう一生,口きいてもらえないかもってドキドキしてたよ」

 

杏奈が安堵の表情を浮かべ,コーラを開ける。
勢いよく泡が噴き出し,杏奈が声を出しながら慌てる。
その様子に,思わずなぎさが笑う。
「ハンカチどうぞ」
「ありがとー,助かる!」
杏奈も笑う。

 

美味しそうにコーラを飲む杏奈に向かって,なぎさが尋ねる。
「…ねぇ,どうしてそんなに私のこと,気にかけてくれるの?」
「え,だって,同期じゃん?」
当然だと言わんばかりに杏奈が答える。

 

「私,同期ができてめちゃくちゃ嬉しかったんだよね。たくさん研修病院があるなかで,あえてここで一緒になるなんて奇跡じゃん! まぁ,なぎさは将来,有名になって,もっと大きな病院でバリバリ活躍していくんだろうけど,ここでの時間が嫌な思い出になってほしくないな,って」
「私のために,そんなにしてくれなくていいよ。迷惑かけたくないし」

 

杏奈が姿勢を正し,明かりが灯りはじめた街並みを見ながら答える。
「私が関わる人にはね,せっかくなら楽しい時間を過ごしてほしいんだ。だからこれは,なぎさのためっていうか,むしろ私のためって感じ。迷惑とかじゃないよ」
杏奈がなぎさの方を向く。

 

「人助けだと思って,これからも同期でいさせて?」
杏奈がとびきりの笑顔をなぎさに送る。
「…ありがと」
なぎさが微笑み返す。

 

「よおし,そしたら,もっと細かい変な院内ルールとか,ヤバい先生の対処法とかも教えてあげるね。あとね,今期のおススメコンビニスイーツも教えてあげる。あ,なぎさは私に勉強教えてね,私,人から教えてもらったことをまとめるのは得意だけど,一から本を読むのは苦手なの。それからそれから………」

 

日暮れのベンチが,外灯に照らされていた。

 

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連休明け,なぎさは教育研修センターの事務員を含む複数のメンバーと面談した。
仕事量は少なめに調整され,ER研修は常に杏奈と一緒に入ることになった。

 

以後は何事もなかったかのように仕事をこなすことができた。杏奈との連携も深まった。お互いの得意不得意がわかるようになり,ERでも長所を生かす形でバディを組めるようになった。さらに2週間もすれば,なぎさもこの病院での活躍の仕方がわかってきた。

 

ポータブルX線を撮りに来た放射線技師が小声で杏奈に話しかける。
「最近,湯之原先生,雰囲気変わったよね。なんか笑顔がイイ感じだし」
杏奈が答える。
「あー! 私の同期に手を出さないでくださいね!」
離れた場所から,なぎさが明るい声で杏奈に呼びかける。
「杏奈,ちょっと手伝ってくれない?」
「はいはーい,今行きまーす」
杏奈がパタパタと駆けていった。
この日も仕事は山積みだったが,現場は活気に満ちていた。
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その日の夕方,業務を終えたなぎさが研修医室に帰ってくると,ドアにチラシが貼られていた。

 

研修医No1決定戦! 全国クイズ大会! 参加者募集

 

遅れて帰ってきた杏奈が後ろから覗き込む。
「お,なぎさ,こーゆーの興味ある? これに出て優勝したら,有名になれるかもねー!」
「でも,出場要件は3人でチームを組んでエントリー,だよ」
「ほら,飛鳥先生が言ってたじゃん。もうすぐ3人目が来るって!」

 

ここ数週間,余裕がなかったなぎさは,その事実をすっかり忘れていた。
この病院に,3人目の研修医が来るのだ。


杏奈と仲間の青春研修生活を描く「サバレジ」,次回もお楽しみに!
飛鳥の指導で成長する杏奈の様子は天野雅之先生の「臨床現場の仕事術」をチェック!!(毎週水曜日更新)

 

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