第10回 3人目の研修医


明日宮もなか( X:@monaka_asumiya)


(前回はこちらから)

夏の早朝。一人の女性が関西国際空港の国際線到着口を通り抜けた。首に大きなヘッドホンをかけ,ダメージジーンズにモスグリーンのパーカーという姿は,いかにも海外帰りという装いだった。オレンジに近い茶色のショートヘアはデコ出しスタイルでまとめられ,けだるげな目元はサングラスで隠されていた。

 

そのまま出口を抜け,予約していたタクシーに乗り込む。窓から見える景色には目もくれず,音楽を聴いて過ごす。約2時間後,目的地にたどり着いた。慣れた手つきでクレジットカードを切り,タクシーのトランクから降ろされたキャリーケースを受け取った。

 

正面玄関に立ち,青空を背負った白い建物を見上げる。
「ふーん,こんな感じかぁ」
これから自分が働く病院をまじまじと見つめながら,無感動な声色でぼそっとつぶやいた。

 

~~~~~~~~~~~~
ランチの時間が近づいたころ,杏奈となぎさはいつもより少し早めにERを引き継いで研修医室に戻ってきた。約束の時間になり,飛鳥が研修医室の扉をノックする。杏奈の返答を聞いてから,そろそろと扉を開けて中を見る。

 

「お,二人とも揃っているね。それでは,待望の新しい仲間を紹介してもいいかな?」
杏奈は大きく頷き,「待ってました」と言いながら立ち上がる。
なぎさは自席に座ったまま背中をのけぞらせ,扉の方を覗き込む。

 

飛鳥は満面の笑みで手招きすると,勤務初日とは到底思えぬラフな格好の女性が,小さなキャリーケースを引いて入ってきた。

 

「高取セリナです。こちらでは研修医1年目ということになります,よろしくお願いします」
やる気があるのかないのかわからない絶妙なトーンだが,自信に満ちた澄んだ声だった。
「登美山杏奈です,杏奈って呼んでね。呼び方はセリナでいい? 海外から来たってホント?」
杏奈が興味津々に問いかける。
「杏奈,よろしくね。東ヨーロッパからさっき帰ってきたところだよ」
「すごーい! 英語もペラペラなんだよね? マジで英語ニガテだから助けてね」
杏奈がひとしきりの会話を終えたところで,なぎさが控えめに話しかける。

 

「湯之原なぎさです。よろしくお願いします。セリナさんは現役生ですか?」
「現役というか,学年がズレてるからよくわかんないけど,年齢はたぶん二人と同じくらいかな。よろしくね,なぎさ」
セリナが快活に返答する。会話の切れ目を待っていた飛鳥がすかさず声をかける。
「さぁて,そろそろ院内の挨拶回りに行こう。といっても,その服装は少し目立つから,スクラブに着替えてから行こうか。杏奈さん,ロッカールームを案内してあげてくれる? 着替え終えたら,3人揃って教育研修センターに来てくれるかな?」

 

杏奈は飛鳥の話を最後まで待たず,セリナを連れてハイテンションで出ていった。
飛鳥となぎさが思わず目を見合わせる。

 

「賑やかになりますね」
なぎさが呆れながらつぶやいた。
「ほんとだね。でも,これでクイズ大会に応募できるね。杏奈さんから聞いたよ,頑張ってね」
飛鳥が微笑む。
「そうですね,頑張ります」
なぎさも微笑み返した。
~~~~~~~~~~~~

 

数分後,3人の研修医は教育研修センターを目指して院内を闊歩していた。セリナは持参したライトグリーンのスクラブの上に白衣を羽織っていた。スクラブのままだとあまりに目立つので,今日はなぎさが白衣を貸すことにしたのだった。

 

「スクラブの色なんて気にする人いるの? 迷彩とか,ヒョウ柄のスクラブ着てるスタッフだって,向こうだといっぱいいたよ」
歩きながらセリナが真顔で尋ねる。
「うーん,少なくともこの病院では,一般的ではないかもね…」
なぎさが遠慮がちに答える。

 

「ところでさ,なんでセリナは日本に帰ってきたの?」
会話の流れを無視して杏奈が尋ねる。
「私みたいなタイプはさ,日本と海外のどっちにいるのが幸せかっていったら,これまでのいろんな人の見解を総合すると,まぁたぶん海外にいたほうが幸せなんだよね。向こうでそのまま研究でもしようと思ってたんだけど,親が帰って来いってうるさくて。調べたら,日本の大学って給料めっちゃ安いんだね。で,医者のバイトをするには日本の臨床研修を受けなきゃいけないみたいで,急遽働く,みたいな」
セリナがスラスラと答える。

 

「でもさ,わざわざこんな不人気病院に来なくてもいいじゃん」
杏奈が自虐的な質問を投げかける。
「忙しすぎず,給料も良くて,地元で,枠が余ってる病院といえば,ここ一択だった。論文とか読みたいし,資産運用とかも興味あるし,地元で住むのには困らないし。マッチングは終わってたから,冬にオンラインで面接したら即採用って流れだった。今日来てみて,想像よりもかなり小規模だったけど,雰囲気は悪くないね」
白衣のポケットに両手を入れたまま,セリナが満足げに答えた。

(次回へつづく)


杏奈と仲間の青春研修生活を描く「サバレジ」,次回もお楽しみに!
飛鳥の指導で成長する杏奈の様子は天野雅之先生の「臨床現場の仕事術」をチェック!!(毎週水曜日更新)

 

こちらの記事の内容はお役に立ちましたか?