第19回 医局会

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明日宮もなか( X:@monaka_asumiya)


(前回はこちらから)

金曜日,17時過ぎの研修医室。
普段なら「お疲れさま」の明るい声が飛び交う時間に,深く長いため息が響いた。
なぎさはカルテを書く手を止め,音のしたほうへ顔を向ける。

 

ヘッドフォンをつけたセリナはパソコンのディスプレイをじっと見つめていた。
目を輝かせて何かを操作している。あのため息とは無関係だろう。

 

ぐるりと椅子を回して真後ろを見ると,ため息の主が視界に入った。
杏奈がソファーの背もたれに全体重を預け,両手をだらりと下げ,天井を仰いでいた。
全身から「かまってくれ」というオーラが滲み出ている

 

「何かあったんですか?」
なぎさが声をかける。
「同期たちが次々と帰宅していく華の金曜日に,かわいそうな私は“医局会”なるものに参加せねばならんのですよ……。なんとも嘆かわしい……」
杏奈はかすれた声でぼやいた。
「医局会?」
「ほら,病院の経営とか,全体への連絡事項とかを偉い先生たちが話し合うやつ。もともと研修医が私ひとりだったから,ありがたくも代表として参加してるってわけ」
杏奈は体勢を戻しながら,面倒くさそうにそう付け加えた。

 

「あぁ,なるほど。いつもありがとうございます」
「うわー,それ絶対本心じゃないでしょ~!」
なぎさは聞き流しながら視線を横に滑らせる。
相変わらず、セリナはヘッドフォンをつけたままパソコンを操作している。
院内PHSはすでに充電器にセットされていた。

 

「その様子じゃ、もし病棟から電話がかかってきても気づけないのでは…?」
室内のやり取りを一切気にする様子のないセリナの横顔を見ながら、なぎさがつぶやく。

 

「全部聞こえてるよ。誰かさんの大きなため息もねー。じゃ,定時なんで,アタシは帰ります。お疲れさまでした」
セリナはヘッドフォンを置いて立ち上がると颯爽と二人の間を横切り,そのまま足早に研修医室を後にした。

 

「はぁ……,わたしも行かなきゃ……」
杏奈はのろのろと立ち上がると,重たい足取りで研修医室を出ていった。

~~~~~~~~~~~~

院内で最も広い会議室には,すでに院長をはじめ,副院長,各部門長,診療科長,事務系の担当者たちがずらりと並んで座っていた。
杏奈の席は,ドアに最も近い一番端。目立たぬよう気配を消しながらスッと腰を下ろしたタイミングで,医局会が始まった。

 

杏奈は今日も頬杖をつきながら,幹部たちの話を半分聞き流していた。
重要な連絡事項,予定の確認,そして1カ月の経営状況の報告。
事務長が病院の厳しい財政状況を語り,院長が激励の言葉で締めくくる――,普段ならそれで終わるはずだった。だが今日は,副院長の宗平と救急科部長が,予想外の舌戦を繰り広げていた。

 

「赤字の元凶は,人件費ばかりかかってベッドも埋まらない救急部なんじゃないですかねぇ」
「いえ,必要不可欠な出費です。地域の救急医療を守るための投資と考えていただければ~」

 

杏奈は「早く終わって…」と念じながら,手元のペンをくるくる回す。

 

「そんなことより,利益率の高い健診センターを設置して~」
「“そんなこと”とは何ですか?  我々が辞めでもしない限り,ありがたみはご理解いただけないんでしょうかねぇ!」

 

急な強い語気に驚き,杏奈はポケットのスマホに伸ばしかけていた手をひゅっと引っ込めた。

 

「まぁまぁ,そのあたりで」
会議でしか姿を見ない院長が,穏やかに割って入る。
杏奈が入職したころから病気を患っているという院長は,この数カ月,病院にもあまり姿を見せていない。やせた体つきは,病状の深刻さを物語っていた。

 

(院長って,大変そうだなぁ……)

 

「登美山先生」
ぼんやり院長を見ていたところを不意に呼ばれて,杏奈はびくりと体を硬直させた。
「あっ,はいっ!」
「そういえばこの前,研修医の皆さんが全国のクイズ大会で活躍されたそうですね」

 

話題を切り替えた院長の目は,杏奈に向けられていた。

 

「え,はい……,まあ,優勝は逃しましたが……」
「ネットでも話題になったとか。若い人が活躍してくれるのは,病院の活力になります。これからも頑張ってください」
「ありがとうございます」

 

「研修医がメディアにちやほやされるのは,いかがなものかと思いますけどね」
副院長の宗平が冷や水を浴びせるように言う。
「まあまあ。おかげで,平城医大から久しぶりに学生が来るそうですよ,ねぇ」
「はい。急ではありますが,2週間後から医学部5年生が1カ月間の実習に来ます。また,6年生の見学希望者も4人申し込みがありました」
教育研修センターの事務担当が,きびきびと説明する。
「ということだそうです。未来は明るいですね。登美山さん,研修医の皆さんでしっかり学生たちを教えてあげてくださいね」

 

院長のやさしいまなざしが杏奈に向けられる。弱った身体に反して,その目には確かな熱があった。

 

「は,はい,頑張ります!」

 

「では,そろそろ時間ですので,本日の医局会はこれで終了としましょう。お疲れさまでした」
司会の合図で会はお開きとなり,杏奈は椅子に座ったまま小さく一礼してから立ち上がった。

 

医学生が来てくれる――。
クイズ大会が終わって少し気が緩んでいた心に,きゅっと緊張感が戻ってくる。

 

(よし,さっそく二人に知らせなきゃ)
我慢していたスマホを取り出し,鼻歌まじりに足取り軽く研修医室へと戻っていった。

(次回へつづく)


杏奈と仲間の青春研修生活を描く「サバレジ」,次回もお楽しみに!
飛鳥の指導で成長する杏奈の様子は天野雅之先生の「臨床現場の仕事術」 をチェック!!(水曜日更新)

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